たりたの日記
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2009年01月28日(水) 「河童芋銭」正津勉著



正津勉氏の新刊「河童芋銭」(河出書房新社 12月18日発売)を読了。
おもしろかった。
本を読んでいて「おもしろい」と思う時、そこにはその本からの働きかけ、自分の足どりに、何かしらはずみをつけてくれるような働きかけが、きっとある。

「はじめに」の文章の中に、正津氏が18歳の時に小川芋銭の画集に出会った時の記述として、<そこに「いっそう自由に、いっそう純粋に」ある精神の発露を見ていたのだ>という箇所があった。
「いっそう自由に、いっそう純粋に」という言葉は、今わたしが最も求めている足どりのリズムであるかもしれない。そういうところから絵を描いた絵描きとはいったいどういう人なのだろうと、小川芋銭の評伝小説に興味深く入っていった。

小川芋銭のことは少しも知らなかった。知ってみれば、今まで知らずに過ごした事が残念に思うほど独自の世界や空間を持つ画家で、幸徳秋水はじめ、横山大観や山村暮鳥などと深い交流のあった人だった。
暮鳥が牛久の村を歩きまわり芋銭の家を訪ねた時の様子を「芋銭氏訪問記 日本のゴッホ」に書いていて、それは詩人らしい美しい文章なのだが、そこから始まる画家と詩人、仏教徒とキリス教徒の魂の交流が印象深い。

さて芋銭の絵、どの絵も見た瞬間、何とも気持ちの良い風がさっと身体の中を抜ける。その世界の静けさ、自由さ、そしてなつかしさ・・・
誰の影響も、どの国の絵画の影響も無縁な独自の世界や空間を持つ絵だ。

芋銭は河童を描き続けたが、幻視者(ヴイジオネル)芋銭は「河童は一度だけしか見た事がない」という。
フェアリーが見えるという人もいるのだから、芋銭が河童を視たことは疑わない。それに芋銭の描く河童は生き生きと血が通っているもの・・・

この本を読んでいるうちに芋銭の描いた河童たちに会いたくなってきた。今年の遠出の手始めは茨城県立歴史館にしよう。
芋銭が最期の仕事とした「河童百図」も観ることができるだろうか。



<小川芋銭画:水魅戯(すいみたわむる) >





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