たりたの日記
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| 2008年09月21日(日) |
秋の庭 千日紅(センニチコウ) |
初夏に植えた千日紅は夏の強い陽射しに耐えていたが、 秋風が吹くようになると息を吹き返したように、色鮮やかに咲き始めた。 秋に似合う花だ。
この日、教会学校の担当。 子ども達に手渡す、小さなカードには
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
と書かれてあった。
テーマは創世記3章、イブが蛇にそそのかされ、禁断の木の実を食べるというあの場面。神を畏れて木の陰に隠れていた二人の方へ神が歩いて来て、神が言った言葉。
その罪の故に二人は楽園を追われるが、神は二人を愛し守った。 神は二人に動物の毛皮で服を作って着せたのだ。
人間はその始まりのところから、神を裏切り、嘘をつき、責任を転嫁し、そして隠れようとする。それが我々人間の真実の姿。 花のように美しくはない・・・
けれど、そういうわたし達が愛され、守られているということ。
創世記 3:1〜3:10
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
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