たりたの日記
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敬老の日、89歳の伯母夫婦を訪ねる。 わたしたち夫婦の両親はそれぞれ九州に住んでいて会いには行けないので、花などのプレゼントを送り、この日は世田谷に住む伯母夫婦を訪ねるのが恒例になっている。 今年も元気な二人といっしょに暮らす従兄弟に会うことができて良かった。
帰り道、国立新美術館の「ウィーン美術史美術館所蔵―静物画の秘密展」へ
市場や台所の静物、狩猟、果実、花などの静物、それぞれのジャンル分けが面白かったが、 印象的だったのは<虚栄>というカテゴリーの静物画。
アントニオ・デ・ペレダ (1634年頃 )のヴァニタス(虚栄)と題された絵には、中央に地球儀を抱える美しい天使が描かれ、その下のテーブルには気味の悪い頭蓋骨がごろごろと転がっている。
昨日の日記にも繋がるが、子どもの頃、静物画に花や果物などの美しいものといっしょに頭蓋骨が描かれているのが、何とも気味悪く、なにかそこには湿った暗いものが漂っていて、心の奥を引っかかれるような妙な感覚があった。 そしてその湿った暗い感覚は、小学校の木造の建物の裏の、朽ち果てていこうとする土壁の匂いとそこに捨て置かれたままの白い骸骨の模型の記憶と結びついて、むさむさと心を空っぽにさせるような力があった。
ヨーロッパの静物画には「ヴァニタス」と呼ばれる種類のものがある事を知った。 解説に寄れば、この絵画の中では現世の栄光を示す品と、人間の限りある運命を表す品とが対比して描かれている。はかないこの世での栄光や快楽に溺れず、神を畏れよという警告ということだ。
頭蓋骨、砂時計、消えかかったろうそくは人間の命が限りあるものである事の象徴なのだろう。 また、テーブルに刻まれているNIL OMNE(すべては無)という文字。 これは旧約聖書、伝道の書の冒頭部分
<伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。>から取られたものなのだろう。
画集にあった頭蓋骨、小学校の裏庭の白い骸骨の模型。 言葉で説明を受けたわけでもないのに、幼ない心は「空の空」を体験していたのかもしれない。

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