たりたの日記
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2008年09月09日(火) 朗読ということ

先に、ふるさとの文芸誌「おおの路」に投稿していると書いたが、この4月には「朗読ということ」という文章を、3月28日の日記を後に続けてまとめたものを投稿した。
長谷川氏の朗読講座のブログを立ち上げたのを機会に、わたし自身の朗読の初心をもう一度確認しておこう。
このところ、朗読の練習も、ボイスブログの更新もずいぶん怠けている。
もっと朗読に努力を傾けるべきだと反省。
この秋、また目標を定めて、朗読ということに取り組みたいと思
う。


<「おおの路」22号より >


 朗読ということ

                             たりたくみ

 昨年の四月から、さいたま新都心にある、NHK文化学園で、長谷川勝彦氏の朗読講座を受講するようになって一年が経った。
五十一歳を迎えるにあたって、五十代にすることの一つに朗読を選んだ。朗読を先生についてきちんと学ぶのは今回が初めての事だったが、小学校、中学校、高校と 放送部に所属していて、マイクに向かってしゃべることや朗読する事には馴染んでいたし、好きな事だった。小学校の教員時代にも教室で毎日読み聞かせをしていたし、大分を離れて埼玉に住むようになってから一番先に始めた事が、絵本の読み聞かせや昔話の語りだった。そういう意味では朗読はずっとわたしの側にあったと言ってもよい。

それならなぜ、この時期にわざわざ朗読を学ぼうと思ったかといえば、それより2ヶ月前にNHKアナウンサーの青木裕子さんの朗読する『風琴と魚の町』をライブで聴いた事がそのきっかけだった。朗読を聴きながら、目の前にその世界が見えてくる。匂いまでしてくる。その作品をおそらくは目で読むよりは深く味わった。そして優れた朗読とは何と力のあるものだろう、演劇に劣らない、一つのパフォーマンスだと思った。
どうせ朗読を学ぶなら、一級の朗読者から直接学びたいものだと探してみた。NHKの高校講座や、文学、ドキュメンタリー番組で朗読やナレーションをなさっている長谷川勝彦氏が横浜ランドマークのNHK文化学園で朗読講座を担当している事が分ったが、横浜まで通うのは遠いのでどうしようと迷っている時、四月から新たにさいたま新都心でも長谷川氏の朗読講座がスタートする事が分った。ここならば家から四十分足らずで行く事ができる。なんとも降って沸いたようなチャンスだった。

朗読は慣れていると思って、この講座に臨んだのだったが、改めて朗読してみると、氏からわたしの癖を指摘された。声がだんだん沈んでいくこと、思い入れ、表現の過ぎるところがあること、文章の構造をきちんと踏まえた上でのフレージングができていない事など、指摘はどれも納得のいくものだった。
またひとつの作品を何十回も繰り返し読みながら、その作品をより深く理解していく事や、いったい語っているのは誰なのか、と、語り手の人柄や立っている位置、眼線まで意識しながら読むという事など、文学ゼミで文学を学ぶ以上の読み深めがなされた。
その作品にあった読み方というものがあり、その文章の中で流れる時間を読む上で意識しなければならない事、読み手の姿は消え、話が立ち上がらなければならない事など、朗読についての認識が甘かったことも知らされた。

自分の朗読を客観的に聴く必要があると思い、パソコンにマイクをつなぎ、自分の朗読をデジタル録音しては聴くという作業もするようになった。納得のいくまで何度も取り直しをする。さらにはそれを聴いてもらうため、ボイスブログという音声ファイルをアップできるブログで「朗読の庭」というボイスブログをスタートした。一般公開するとすれば、録音も緊張する。編集ができる技も、機能もないから、間違えないように読まなければならない。読み間違えをしたり噛んだりすれば、いくら最期のところまで読んでも、また最初から録音のやり直しだ。その緊張が練習には良かったのかもしれない。しかし、自宅での録音は車の走る音や、鳥の鳴き声はまだ良いとしても、物売りの声や玄関のベルの音など、妨害もしょっちゅうだ。

そのようにして朗読の世界に少しずつ深入りしていた去年の暮、教会のオルガニストを務める若い友人から、3月末に朗読とオルガンと歌のコラボレーションを考えているがどうかと打診があった。今度も、またまたチャンス到来。二つ返事で引き受けた。
期日はイースターの直後の三月二十八日。場所は日本キリスト教団原宿教会。プログラム、前半は聖書朗読や聖書物語をアイオナ共同体のさんびかやマタイ受難曲と組み合わせ、後半は「オンブラ・マイ・フ」というオペラのアリアとその訳詩の朗読や金子光晴の「かつこう」という詩とダカンの「かっこう」を組み合わせたものと、興味深い選曲と面白い構成だった。

およそ三ヶ月の間、わたしなりにコンサートに向けて練習や調整をしていった。幸いな事に朗読講座の後に、長谷川先生が個人的に指導して下さり、金子光晴の詩については詩の解釈と読み声の関係や詩を朗読する上での心構えなどずいぶん勉強になった。

当日は安定していて佳麗なオルガン(ポジティブオルガンというパイプ内臓型のオルガン)の演奏と、豊かな声量と深い響きを持つソプラノ独唱を楽しみながら朗読をする事ができ、すばらしい体験となった。
 この朗読の体験を次へつなげていきたいと思う。


2008年4月


たりたくみ |MAILHomePage

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