たりたの日記
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| 2006年06月09日(金) |
読書のすすめ―正津勉著「行き暮れて、山。」 |
「なんで、また、山なんかに登るんだろう」 山をやる人間はきっと何度となく心にこの問いを投げかけているに違いない。 そしてまた山をやらない人は「なんで、また、君は山などへ登るのか」と、 問いかけたくなるのだろう。
正津勉氏の新刊「行き暮れて、山」を読んでみよう。 五十歳を過ぎて三十余年振りに山と再会し、そして「狂った」氏は、「なんでまた山へ」という問いを繰り返しながら、土砂降りの悪路にがむしゃらに取り付いていたり、強風の中、身体を丸めて風に間向かっていたりしている。
読者は、なんでそうまでして山へと、半ばあきれながらも、作者の山行にしばらく同伴する。そうして、いっしょになって足滑らせ、その拍子に眼前のミヤマキリシマの薄桃色にはっとし、星空の下、白乳色の超野趣の湯に浸かってはぼーっとするのだ。 こけつまろびつ著者の後を追いかけ15の山を巡るうちに、先の問いの答えのようなものが、ひたひたと、自らの内側に満ちていることに気がつくはずだ。
次々と目の前にたち現れるのは詩人から言葉の息を吹き入れられた山や木や花や星、雨や風や川や湯、そんな自然のものたち。そこにはまた、それぞれの山を詠い、語った15人の文学者達の姿と言葉とが加わり、人と自然が言葉を交わし、また溶け合っている饗宴の様。 読む者は、部屋に居て机の上に肘を突きながら、とびっきりの山行を体験することになる。 なんと贅沢な山行。 なんと贅沢な読書。
もしかすると、あなたは本を閉じ、地図を取り出し、やおら山行の計画を立て始めることになるかもしれない。 そうしてふと気がつくと立っているのだ。ザックを背負って山の中に。

正津勉著「行き暮れて、山。」
50歳を過ぎて、山に再挑戦。 あえぎ、追い抜かれ、やっとこさ頂上に立った詩人が、先達の文学者たちを思い、名山15座を歩く。( 帯 )
<本書所収のおもな山と文学者たち>
九重山………川端康成 石鎚山………井伏鱒二 甲斐駒ガ岳…古井由吉 大峰山………中上健次
アーツアンドクラフラフツ
四六判並製/カバー装/ 定価1995円
< 関連サイト >
出版社HP アーツアンドクラフラフツ
正津勉文学ゼミHP B-seni
カメダさんのブログ 読書三到・アナキズム
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