たりたの日記
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2005年12月28日(水) 繋がりの不思議

いったい出会いというのは不思議なものだ。
赤の他人だった人間とふとした事がきっかけで生涯同じ一つ屋根の下で暮らすようになるということはいくら考えても不思議でしょうがないが、ただ一度だけの出会いが生涯心の中で生き続けるというのもまた不思議なこと。さらにはイエスとの出会いのように、実際には一度も会っていなくとも、すべての出会いに先んじて自身の歩みを決定づけるような究極の出会いも存在する。

もともと出会いは不思議なものだが、それがネット上であると、さらにその範囲とスピードが増す。
振り返ってみれば、ネットで日記を綴り始めてからの4年間、新しい出会いの多くは実にネットに寄るところが多い。この一年間を特徴づけるM’Sのダンスチームとの出会いも、正津勉文学ゼミとの出会いも、そこにはネットが介在する。

また3年前のマオ・アキラ脚本、演出のミュージカルも、去年出版したわたしの本「育つ日々」も、始まりはネットからだった。
初めはネット上で言葉だけでやり取りし、その後実際に会い、交流を深めている友人もいる。

一昨日の日記に京都のみやさんの知り合いからメールをいただいたことを驚きと共に記したが、その方、kさんとやり取りするうちに、わたし達の間に意外な繋がりがあったことを知りさらに驚いた。

わたしは小学生の頃から結婚して埼玉に移住するまで、ずっと大分県の故郷の教会に通っていた。その当時大分県の中にある同じ教団教会は交流がさかんで、良く他の町の教会学校の生徒と交流会を持ったり、中学生キャンプや高校生キャンプ、また青年会の集まりを通して、県内の教会に集う仲間と顔を合わせる機会が多かった。そして牧師とはどこの教会の牧師とも顔見知りといった感じだった。若くてユニークな牧師が多く、文学の話、社会運動の話などさまざまに刺激を受けた。

さて本題だが、なんとKさんは同じ大分県にある町の教会に小さい頃から高校生まで通われていて、わたしの故郷の教会にも一度いらしたことがあるというのだ。わたし自身もKさんの故郷の教会へ少なくとも三度は行っているし、その教会のの女性牧師Y先生の事も記憶している。とすれば、小学生か中学生の時、Kさんと行き合っていても不思議はない。

Kさんがみやさんの住所を知らせてくださった。常に心の中にありながら、またネット上でもみやさんの事を書きながら、それでもその住所宛に手紙を送ることに畏れ多さを感じ今日は何も書けなかったが、みやさんの新刊本が見つかったので注文した。


「呼吸する原っぱ 」森永都子・芥川仁/世織書房 1,050円
(森永都子さんのこころあたたまる童話と芥川仁さんの素敵な写真が一緒になりました)


たりたくみ |MAILHomePage

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