たりたの日記
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2003年05月12日(月) ごつい手が差し出すピンク色の封筒には

かつて母というものもやったと、近頃はそういう感覚でいるので、今日が「母の日」と知ってはいても、もう自分とは関係ないことのように感じていた。

それだから、朝早く、2階から降りてきた次男がそのごつい手でわたしの目の前にピンク色の封筒を突き出した時には、「何なの?」という反応をしてしまった。
「母の日おめでとう」
そうだ、今日は「母の日」で、わたしはまだ母だったのだ。

ピンク色の封筒の中には薄いピンクに濃いピンクのカーネーションが5つ貼り付けてあり、リボンやハートやら細かい細工のしてある、きれいな母の日のカードが入っていた。カードの内側の右半分はぎっしりと言葉で埋まっている。

いえ、母の日や誕生日に子ども達からカードをもらったのは初めてのことではない。子ども達が小学生の頃にはそれなりににんまりと笑いがこぼれてしまうような手作りのカードをいくつももらってきた。

でも、このピンク色のカードに特別な感慨を抱いたのは、もう子どもとはいえない青年が母親に言葉を綴ってよこすという行為に、反抗やはにかみやそういうことからすっかり自由になったオトナの姿をちらりと見たから。彼が過ぎ越してきた月日の流れを想ったから。

「スクランブルエッグ作れるんだ。」
そういうと彼はフライパンに卵を2つ割りいれ、塩と胡椒を振って手早くスクランブルエッグをこしらえた。
「なかなかのもんじゃない。」
それは初めて彼が自主的に調理したものだった。

家を出て、教会へ行く電車に乗り込んだところではたと気が付く。
あのスクランブルエッグはわたしへのトリートだったのだと。
いつも母の日の朝には朝食の準備をする父親を真似て、父親に代わってその仕事をしたのだと。





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