たりたの日記
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| 2003年03月28日(金) |
このふにゃふにゃと頼りないものに凝縮された人間の知恵と技 |
昨日の日記に、7年間使ったコンタクトレンズを紛失したと書いたが、実際はそれより長く使っていたのかもしれない。というのはコンタクトレンズは一方しか失くさなかったから7年前にどちらかのレンズを新しくしたのである。ひょっとするとその時に失くさなかった方のレンズだったのかもしれない。とすれば、10年、あるいはそれ以上使い続けていたのかもしれない。
さて、なぜそのレンズを失くしたことが神の助けだったかということだが、レンズを新しくすべく眼鏡屋に行ったところ、その残ったレンズを検査した人が「これいったいどのくらい使ってます。もう使えないほど傷が入ってますよ。それにマークもすっかり擦り切れていて、いったいこのレンズがどこのメーカーのどういう種類のものかも分らないほどです。」とあきれられてしまった。 確かコンタクトレンズを作ったら、年に一度は定期検査を受けなければいけないのに、私は毎年人間ドッグに入っていて、その時眼科の検診も受けるからそれで良しとし、レンズの状態のチェックを甚だしく怠っていたのだ。
ここでレンズを失くさなければ、この状態の悪いレンズを使い続け、眼に負担をかけ続けることになっただろう。どういう理由で無くなったのかは今持って分らないが、日曜日の朝、片方のレンズが無くなってくれてほんとに良かった。
さて、新しいペアのレンズを作ることにしたものの、レンズが届くまでに3日かかるという。この前のように突然レンズが消えるということがあった後では 大切な舞台を控えていてその日の朝レンズを失くすということが無いともいいきれない。この際、うわさに聞いている使い捨てのコンタクトレンズを1セット買っておこうと思った。1セット30組で5400円。1ペアがわずか180円である。もちろん、これだけにして毎日使うとすれば、毎月5400円新たな支出が加わる。しかし、特別な時に使うと考えれば6年間保存できるのだから1年のうち5回使って1000円なら手元に置いておいて悪くない。
それで、レンズが届くまでの間にこのワンデーアキュビューなる最先端の代物を試してみることにした。あぁ〜ところが、これってとにかく薄いフイルムのようにふにゃふにゃしたものなのだ。しかも黒目よりも大きい。つまり普通に眼を開いただけでは全く入らない。両手を使って瞼を上下に押し広げ、白目が見えるようにしなければならないのだ。苦労するのなんのって、第一日目は一時間近く鏡を覗きこみながら奮闘した。今朝はやく半分の時間でなんとか入ったものの。どうやったらスムーズに入るかそのコツが掴めたというわけではない。何回も失敗しながら、何かの拍子にまぐれで入っただけのことである。だから明日は30分では済まないかも知れないのだ。このレンズと格闘するために、私は朝の忙しい時に30分かそれ以上時間を取られることになる。
次男の話だとクラスの生徒の半数近くの人間がこのワンデーアキュビューを使っていて、みんなひょいひょいと入れているというのである。もしかして今どきの青少年は目が大きいのだろうか、あるいは、手先が異常に器用なのだろうか。いえいえ、それを言うなら、ひとり私が人より目が小さく、また指先が異様に不器用なのではないかという疑いを持つべきだろう。
しかし、このワンデーアキュビュー、いったん目の中に納まってしまうや、もう自分の裸眼と少しも変らない。目の中でレンズが動くという不快さもなければ、ほこりや風のせいでごろごろすることもない。目が悪くないというのはこういうことだったのかと感動してしまった。
科学の進歩ってなんてすごいの。眼鏡だけでも大した発明なのに、目の中にレンズを入れるなどというとんでもないことを人間は考え出し、さらにはレンズを薄いフィルムのように目に貼り付けて矯正するということにまで発展した。その品物がこよなく小さく、薄く、ふにゃふにゃと頼りなげなものであるだけに、そこに集められた人間の知恵とか技とかいったものに溜め息がでるほど感嘆してしまうのである。
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