たりたの日記
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2003年02月01日(土) ミュージカルリハーサル

2日間通して何もせずにベッドで過ごしたお陰で、この日の朝は何とか普通に起きて家族の食事の用意もできれば、普通の食事を取ることもできた。夫がベッドまでおかゆや飲み物を運んでくれるという特別扱いは名残惜しいが、やはり「ご飯だよ〜」と男たちをたたき起こす方が性にあっている。それでも重い荷物を抱え自転車と電車と徒歩で練習場まで行くには今ひとつ元気が足りなかったので夫が車で送っくれ、集合の9時に一時間遅れで会場に入る。同じ時にどうやら同じ胃腸風邪に見舞われた「たける」は今日のリハーサルには来れないらしい。

小劇場ではすでに舞台バックのセッティングが始まっており、ブルーを基調にした何色かの美しい布が上から下まで垂れ下がり、その前には濃いブルーのメッシュの布がかけられ、深い森の幻想的な世界がそこにできていった。思ったよりも多くのこの劇場の関係者の方が仕事をされていることに気づく。こうしてみると舞台に上がったキャストの他にずいぶんたくさんの方々が舞台のために働いているということが実感できる。今まではミュージカルを見に来るお客のことしか意識になかったが、そういう舞台を支えるひとりひとりの方の貢献を思うと、いい舞台にしなければと身が引き締まる気がした。テンションがハイになっているせいか、午後からずんずん元気がでてきて、5時からのリハーサルの時にはすっかり身体も声の調子も普段通りに戻っていた。お昼の時に、自分のために買ってきたけれど、あなたが飲んだ方がいいわといってRさんがくださった栄養ドリンクのお陰だったかもしれない。

自分の演技を客観的に見ることができないのでどこがどう良くないのか今ひとつ自分では掴めないのが口惜しいのだが、私の演技の固さや平坦さが指摘された。リハーサルの前に、今日のリハーサルは演技の良し悪しではなく立ち位置や効果音、照明などの確認の為のリハーサルだからあまり良い演技を意識しないで良いのでという指示があったので、私の内では日頃の通しと同じ感覚があって、確かに実際のパフォーマンスという高揚感には明らかに欠けていた。しかし、これが実際の舞台だったらもっと良い演技ができただろうか。否。まだパフォーマンスまでには必要な練習がある。演技の固さの中には次がどういう場面かとか台詞はきちんと覚えているだろうかといった不安な要素がまだまだあるせいだろう。踊りもまだ自分のものになっていない。台詞に関しては自分の頭の中で創り上げたイメージのまま暗記したことをしゃべっているのであって、相手の言葉に触発されて口に上ってきたものではないからお話ではあっても芝居ではない。これから本番までいよいよ集中する時期になった。

パフォーマンス。演奏にしろ、歌にしろ、またレクチャーやデモンストレーションなども含めて大勢の観客を前にして行うパフォーマンスで私が感じていることは、十分な準備や練習や下準備はもちろんやるが、何度練習しても、練習と本番とでは雲泥の差があるということである。実際のパフォーマンスは誰もいない空に向かってパフォームするのではなくまた鏡に映る自分に向かって演じるのでもない。会場にいる観客の一斉にこちらに向けられたエネルギーに触発される形で、自分の内からこれまで出てくることのなかった力がまるで呼び覚まされるような形で沸き起こってくる。見るもの、あるいは聞くものと演じるもの、演奏するものとの間に起こる不思議な一体感がそこに起こる。そしてその時ある意味で自分は自分を越えた何かになる。しかしそういうパフォーマンスをするためには準備の段階ですっかりやろうとしていることを掌握していることが絶対条件だ。少しの不安要素もないほど同じフレーズを繰り返し、シュミレーションし、どんなハプニングにも即興で切り返すほどの準備をしていなければならない。とにかくまずはママの演技のことに集中しよう。そうそう我が家の受験生ほど、そのことに没頭すれば何とかなるかもしれない。彼に便乗してがんばることとしよう。


たりたくみ |MAILHomePage

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