たりたの日記
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カール・バルトという神学者の名前はあまりにも有名なのに、わたしはその人の書いたものを今まで読んだことはなかった。何度か手には取ったような気がするが、その書物の中に分け入ってゆくことはできなかった。家の書架にはモーツアルトを愛したといわれるバルトのモーツアルト論の薄い本があるが、それすらまともに読んではいない。しかし、ものごとには時というものがある。
私の通う教会の会員のY先生は、すでに退職された引退牧師だが、今でもバルトの著書の翻訳をしておられる。わたしは自分ではとても読めるとは思わなかったが、せっかくバルトの大家が身近にいるのだからバルト神学についてのお話を伺いたいと言ったことがある。先生は今翻訳しているバルトの著書のことを言われ、この本はけっして優しいものではないが、丁寧に時間をかけて読むならば、あなたにとって最上の書物のひとつになるでしょうと読むことを勧めてくださった。昨日、ようやく出版された「キリスト教倫理学総説 1/2」を手渡して下さり、初めてバルトを読む方のために、読み方の手引きを後書きに加えましたからまずそこから読んでみてくださいと読む上での順序などを示してくださった。そこにはわたしのような読者がはじめの数ページで、早々と挫折したりしないように、興味のありそうなところから読むこと、はじめからすべてを理解しようとしないで自分の中に入ってくる言葉だけを受け止めて読み進めていくことといった丁寧なアドバイスが書かれてあった。
しかし、一見難しそうな神学書が、良く存知あげている方によって翻訳されているということですでにわたしにとって親しいものという感じがした。この本は2章の「創造者なる神の誡め」というテーマのもとに、「生の誡め」、「召命」、「秩序」、「信仰」の4つのことがらが書かれてある。お勧めの通り、信仰について書かれている部分から読もうとしたものの、やはり始めから読みたくなった。わたしは具体的なことよりはむしろ抽象的な概念について書かれたものの方に興味が湧く。読み始めると確かに難しく、すらすらと斜め読みにできるような書物ではないが決して退屈ではない。すっかりは分らないのにそこから射し込んでくる光のようなものに照らし出されながら次へ次へとページを繰ってしまう。気持ちに入ってくる文章も確かにあって線を引きながら読んでいると半分は線で埋まってしまった。最上の書物のひとつになるでしょうとおっしゃったY先生の言葉の意味が分るような気がした。ゆっくりと味わいつつ読み進めていくことにしよう。
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