たりたの日記
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英語学校の仕事を終え、通勤者であふれかえっている電車に乗る。こんなにたくさんの人。満員の電車に乗り込む時のくせで目は見開いていながら自分の真近にいる人を「見る」ことなくその人々のことに思いを凝らすこともせずに自分の内側だけを見る。誰もがそうしているのだろう。身体が否応なく接近するが故に心を人から遠く引き離すことでバランスを取ろうとするかのようだ。
ところが一方でそれと正反対のことを私たちはネット上で経験している。お互いに遠い土地にあり、どういう顔かたちをしているのかも知らないまま、言葉を通じて深く出会うことがある。そもそもここにこうして書くということ自体、そういうふれあいを、満員電車の中と正反対の関係を求めているのだ。わたしにはそういう傾向がある。そういえば私はまだネットでの交流など考えられもしなかった頃からそういうテイストを持った子どもだった。私が人と深く出会う時には必ずといってよいほどそこに書き言葉が介在した。
初恋は中学1年生、13歳の時だった。相手は同じ中学校の3年生。当時その中学校には読書教育に熱心な先生がいて生徒の書いた読書感想文や詩などを模造紙に貼っては廊下の壁に掲示していた。私が中学校に入学し間もない時に書いた「走れメロス」を読んで綴った詩もそこに貼られていたが、1年生から3年生までのいくつかの作品の中でとりわけ気を惹かれてそこを通る度に読んでいた詩があった。「 ああ、ウェルテル なぜ報われぬ恋を・・・」で始まるその詩は生徒会で時々顔を合わせる3年生の男子生徒のものだった。おそらくは恋というものがどういうものかも知らなかった13歳の少女はそこに綴られた言葉の連なりにまずは恋したのだった。少年が読んで感想を書いていた「若きウェルテルの悩み」や「ジャン・クリフトフ」を読み、また少女も自分も負けずと「ジェーン・エア」や「罪と罰」などを読んでは言葉を綴った。読書感想文と感想画のコンクールに少年と同時に入賞し、並んで表彰台に立ったことがあった。廊下ですれ違いざまに目が合うこともあった。いつだったか何かに引かれるような感じがして後ろを振り返るとその少年の怖いような強い眼差しがそこにあってどきりとした。しかし、憧れの対象でもあり、また目標でもあったその3年生も3月には中学校を卒業し、遠い市内の高校へ通うためにその町を離れ下宿を始めたらしかった。それからしばらくして夏が始まったばかりのある日、一通の暑中見舞の葉書が届いた。美しい文字で書かれたその葉書には筆で書かれた風鈴の絵が添えられていた。3月に卒業していったその先輩からの葉書で、そこには下宿先の住所が書かれていた。葉書にその少年の名前を見た瞬間、きりきりと胸が痛んだことを覚えている。本を読んで知ってはいたが、それはあくまで比喩だと思っていたのに、その時は実際に胸に差し込むような痛さを覚えてうろたえた。その時から少女はその少年に向かって言葉を綴るようになった。いったい何通ほどの手紙を出したのだろう。またどんなことを書いたのだろう。少女も一通づつ増えていく手紙の束を大切に机の奥にしまっては空で覚えるほど繰り返し読んだ。その年の秋だっただろうか少年から中学校の校庭で待っているという手紙をもらい、どきどきする胸をなんとかなだめて、そこへと出かけていった。校庭の周りに植えられている大きなケヤキの木の側に少年は立っていた。卒業以来始めて会った。というより二人だけで会うのは初めてのことだった。ところが手紙ではあれほどたくさんの言葉をかけてきたというのに少年の口からも少女の口からも言葉は出てこなかった。「どうしてだろうね、話せない。」そんなことを少年はぽつりと言って、わたしはそれに返す言葉さえ見つけられないまま黙っていた。そして何も話さないまましばらくそこにたたずんでいたような気がする。何度か約束をしては会ったものの、いつもそんな具合だった。それでも手紙はその後も行き来していた。 15歳の誕生日に20篇ほどの詩を綴った手作りの詩集が送られてきた。私はその中の「すみれ」という詩にメロディーとギターのコードを付けては長いこと歌っていたから今でもその詩だけはすっかり覚えている。 その少年が時折よこしてくる言葉で心を満たしながら、またその言葉に養われもしながら少女時代が過ぎていったような気がする。そしてある日、少女が17歳の秋、遠くの大学へ行った少年から別れの手紙が届いた。その手紙は「あなたは囚われている。もとの自由なあなたに戻るといい。お互い大人になってから会いましょう。」と結んであった。少女はその日、4年の間何よりも大切にしていたその手紙の束を泣きながら焼いた。恐ろしいような喪失感が押し寄せてきていた。あの後、少女はどう時を遡り、少年に会う前の少女へと戻っていったのだろうか。果たしてそんなことは可能だったのだろうか。様々なことがあったのだろうがもう思い出すことはできない。 今朝、仕事へ出かけようと靴を履いた瞬間、もうすっかり記憶の外に置き忘れてしまったはずのその時のことがふいに蘇ってきた。あれからもう30年の月日が過ぎようとしている。私は大人になった、それどころか我が子が成人式を迎えようとしているほどに私は歳を取ってしまった。あの時「大人になってから会いましょう」と書いた19歳の少年はどこかでりっぱな大人になっているに違いない。それなのにその時17歳だった少女は様子だけはすっかり大人になってはいるが今だに「大人」にはなれないままでいる。
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