たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
今日は英語学校の同僚のKさんといっしょに都内の教会へ日本語学校で学んでいる外国人の若者たちの日本語スピーチを聞きに行った。彼らは若いボランティアの宣教師として2ヶ月前に日本にやってきて、教団の持つ日本語学校でトレーニングを受けている5人の青年たちだ。来年4月から各地の教会へ配属され、キリスト教の宣教の役割を担い、教会や地域の人々と交わり、そこの教会が行っている英語学校の教師を務めることになっている。すでに大学を卒業して来た人もいれば、まだ学業の半ばにあり、この2年間でボランティアが単位の一部となる学生もいる。いずれにせよ、自国を離れ、見知らぬ文化と言語を持つ国で自分達に与えられた役割を果たしたいという大志を持ってやってきたのだ。
日本に来てわずか2ヶ月とは思えないスピーチだった。原稿も日本語で書いている。教える側も学ぶ側も並々ならぬ努力があったことがうかがわれる。外国に住み、そこの言語で意思疎通をしていくことがどんなに骨が折れ、またストレスの多いことか身にしみて知っている身としては、懸命に日本語でスピーチをする彼らの姿に胸の熱くなる思いがし、彼らのやる気や夢を損なわないように十分なサポートをしていかなければという気持ちが起こってきた。それにしても我が子とそれほど年が違わない青年達がずいぶんしっかりしていることに驚かされる。アメリカの青年の特徴だが自分達の親くらいの年齢の者に対しても友達のようにフレンドリーな向かい方をする。スピーチの後のパーティーでの話も楽しく、ギターに合わせてキャロルを歌ったのも楽しかった。
さて、その教会の最寄の駅飯田橋から長男の通う大学がある市谷はひと駅だ。四谷の本校のキャンパスにはそこにある図書館を利用するために何度か行ったものの、本人が学んでいるキャンパスには一度も行ったことがなかった。 話に聞いていた通り、こじんまりしたキャンパスは日本テレビの真向かいにあった。守衛の方に父兄ですというとすんなり通してくれる。入り口からして入りやすい感覚があった。敷地にいくつもの建物や施設のある総合大学とは赴きを異にする、なんとも暖かく楽しげなエネルギーがその建物全体に満ちている。英語と日本語が入り乱れて聞こえてくるし、教室からは英語での熱の入っ講義が聞こえてくる。kさんとこんな大学でまた勉強したいねと話したことだった。しかしわが息子、携帯で今キャンパスに来ているとメールすると、「マジ迷惑なんだけど。相手はできないよ」とシツレイな返事。さっきまでいっしょだったアメリカの若者たちとはえらい違いではないか。しかし、彼も心を入れ替えたのか入り口のところで待っていてと言ってきた。待っていると友人3人を連れてやってきて一応紹介もしてくれる。ドイツ人のM君には入学式の時にあっているし、女の子2人も名前は聞いて知っていた。彼女たちはにこにこしながら私を見て「Hのママって感じ!」と言ったが、それは誉め言葉と受け止めてよいものだろうか。なんともフクザツな気持ち。
これから日本でボランティアとして働くアメリカ人の若者たち。日本の大学に学ぶ外国の若者たち。また日本を離れて外国で生活してきたバイリンガルたち。彼らひとりひとりが異なる国と国、異なる文化と文化の架け橋になっていくのだろう。この若い時期に十分に学び、多くのことを経験し、力をつけてもらいたいと思う。
|