| 2008年06月09日(月) |
伊坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」 |
伊坂さんの本を読むのは、これで3冊目。 なんて言うか、この方も不思議をかもし出すのが上手な作家さんだと思うのです。
「オーデュボンの祈り」と「死神の精度」は、どちらも現実にはありえないだろうと言う設定。 どちらも、実際に存在するはずのないキャラクター(?)が、話の要となってきます。 「オーデュボンの祈り」では、しゃべるかかし。 「死神の精度」では、ずばり死神(^^; あ〜、なんてありえない!(笑) どちらも長い時を超えることができ、その時々に生きる人々の様を目の当たりにします。 かかしは、まるで人々の守り神のように一つ処に存在し、頼りにされる。 死神は吹きすぎる風のように、運命を傍観しようとし、それでいてその人に係わらざるを得ない。 いずれにしても、非現実的な存在であることには間違いないのです。
今回の「アヒルと鴨のコインロッカー」は、その意味からすれば、普通(笑) ありえない存在は登場しません。 なのに、どこか不思議な浮遊感があるのです。 大学に通うため、ある町に引っ越してきたばかりの青年、椎名は同じアパートに住む、少し年上らしい青年河崎と出会います。 そのきっかけは、椎名が口ずさんでいた、ボブ・ディランの歌を河崎が耳に留めたこと。 黒ずくめの格好をした、ちょっと風変わりな河崎は、知り合って間もない椎名を、とんでもないことに誘うのです。 広辞苑を盗むために、本屋を襲わないか、と。
物語は、この椎名の語りで綴られる現在編と、河崎と係わりがあったらしい琴美と言う女性の語る2年前編が、交互に出てきます。 2年前の出来事と、現在の間に、いったいどんな関連があるのか。 同じアパートを舞台に、一見まったく別の物語が綴られて行く。 河崎の不可解な行動に引き摺られながら、椎名は少しずつ、過去から流れてくる事実の切れ端を拾い上げることになるのです。
ちょっと変わった青春ものなのか、と思ってしまいそうなこの物語。 終盤になり、思いがけないトリック(と言うには大げさか)が仕掛けられていたことに気づきます。 ミステリーと言うには、あまりに日常的。ファンタジーと言うには、あまりにシビア。なのに、どこか現実離れした空気は漂う。 これは、現在編で椎名自身が感じている謎から波及している気配かもしれません。
2年前編は、あくまでも若者のリアルな日常が描かれています。 そこには、ふとした出来事から琴美につきまとう、無差別な残虐性を持つ若者たちの影もある。 今と言う時代が持つ闇が、読み手に不気味な恐怖感をもたらします。
この小説は、去年映画化されたとのこと。 「え、いったいどうやって?」と思ったのは、小説を読み終えてからでした。 ミステリーの中には時に、小説だからこそ成り立つトリックと言うのがあり、このお話もそういうところがあります。 なぁんて言うと、ネタばれになりますね(^^;
決して急がないテンポのお話。ゆったりした日常、でもどこかふわふわ浮いているような感覚。リズム感のある会話。じわじわと近づく闇の恐怖。時に痛いような切なさ。 様々なものが、窮屈でない空間を持って、詰め込まれている感じ。
伊坂さんと言う方は、きっと音楽が好きなのだろうと思います。 「死神の精度」でも、「オーデュボンの祈り」でも、そう感じました。 今回のお話では、ボブ・ディランの歌が、ひとつの要素となっています。 小説を書く時には、きっと映像も思い浮かぶのでしょうけれど、伊坂さんは同時に音楽も聞こえているのかも。 「このシーンには、こういう音楽が流れているんだよ」と。
この本を読んでいる間、なぜか眩しい陽射しを感じていました。 たとえば、ぽつんと一人いるアパートの部屋に射し込むような陽射し。侘しさや孤独、安らぎなど、様々な思いを無頓着に照らし出す光。 それは、もしかしたら青春と呼べる時期だけが持つ、哀しいほどの切望の光なのかもしれないけれど・・・ 伊坂さんは、やはり不思議な作家さんです。
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