先日、ネットのお友達の掲示板で、さだまさしさんの歌のことが話題になり、いろいろとおしゃべりしていたら、なんだか急になつかしくなり、聞きたくなりました。 実は若かりし頃(笑)、青春時代ってやつですね、さだまさしさんの大ファンでした(^^; 今は違うのか、と聞かれたら・・・う〜ん、そうですねえ。決して嫌いになったわけではないけれど、卒業しました、と言うところでしょうか。 卒業と言うのも、ちょっと変かもしれませんが(笑)
若さと言う、今にして思えばかけがえのない煌きを持つはずの時期。 けれど、その煌きの貴重さに気づくのは過ぎ去ってから・・・少なくとも、私の場合はそうでした。 今よりもっと頼りなく、傷つきやすく、あやふやだった若かった頃。さださんの歌は、鮮やかなほど美しく切なく、心に染み入ってきたものです。 自分の感傷に酔っていたのかもしれません。 でも、あの頃だったからこそ、そんなふうに聞けた。 もちろん、さださんは現在もご活躍中で、すばらしい歌を作っていらっしゃることと思います。けれど、たぶんあの頃ほど夢中に聞くことは、もうできない、そんな気がするのです。
さださんを聞いていた時期の後、好きな音楽の傾向はどんどん変わって行きました。 学生時代は、いわゆるフォークソングがメインでしたが、その後、海外のポップスやロック、さらにジャズやフュージョンと言った、歌より演奏がメインのものに夢中になった時期もありました。 今は、ジャンルはまったく関係なく、その時々で興味を持った歌やら、心癒される音楽やら、そして昔なつかしい音楽も聞くようになりました。
そんなわけで、急に聞きたくなったさだまさしさん(笑) でも、私が持っているのはレコードだけ。すでに、プレーヤーも壊れ、聞くことはできません。 仕方ない、CD買おうかな、と(笑) ネットで調べて、これがいいかなと思ったのは、「さだまさしベスト2」。 ベストとありますが、シングルヒット曲だけでなく、アルバムに入っていて人気のあった曲がほとんどのようです。 ちょっと迷ったのは、収録曲の半分くらいは知らない曲だったから(^^; それを見ても、さださんを聞かなかった時期の長さを思い知ったりしたのですが。 でも、とても好きな曲、これだけは絶対聞きたいと言う曲も入っていたので、買ってしまいました。
今日、仕事へ行く車の中で、ようやく聞きました。 一曲目は「主人公」、これは今でも大好きな歌です。と言っても、もうずっと聞いてなかった、本当に久しぶりに聞きました。 いきなり「やばい!」と思いました。この歌を聞いていた頃のことが、歌詞とオーバーラップして思い出され、ひどくなつかしく、切なく・・・ 気がついたら、じわっと涙が出ていました。やばい、やばい、これから仕事なのに(笑)
「主人公」、この歌の中に出てくる「私」は、「あの頃」の思い出の街を歩いてみます。 なつかしい街並み、友達や「あなた」との輝いていた日々。 その「あなた」が教えてくれたこと、それは「小さな物語でも、自分の人生の中では、誰もがみな主人公」であると言うこと。 「私」はその言葉を思い出し、今の自分を精一杯生きようと思う。 「私の人生の中では 私が主人公」だと信じながら。 すぐ弱気になる私には、この言葉はしみます。頑張れ、と背中を押してもらっているように感じてしまいます。 なつかしさと優しさと、ほんの少しの勇気をもらえる歌です。
この歌を聞きながら、ふとあの頃の若かった恋まで思い出したりして(笑) そう、やはりさださんの歌で、「最后の頁(ぺーじ)」と言うのがありました。 残念ながら、今回のCDには入っていませんでしたが。 あの頃、「最后の頁」の入ったアルバムを、私も聞いていましたし、付き合っていた人も聞いていたのです。 その人が、曲の中の、あるフレーズを聞くたび「本当に、そうなんだよなあ」と、しみじみ言っていた。 それは「不思議なもんだね、ふたり 上り坂はゆっくりで 降りる速さときたらまるで ジェットコースターみたいだ」と言うフレーズ。 私は、とても複雑な気持ちで聞いていました。 この歌詞のように、ならないでほしい、と。 でも、結局そうなってしまったのですけど・・・ おっとと、へんな思い出話しちゃいました(^^;
さださんは、やはり天才ですねえ。情緒あふれる歌詞、それぞれの歌の中に、まるで切なく美しい映画の1シーンを見ているような、ドラマを描き出す。 CDの曲で、他にも「檸檬」や「フレディもしくは三教街」、「セロ弾きのゴーシュ」など、大好きでした。 少しセピア色になった短編集を開くように、それぞれの歌を聞き、なつかしさに漂ってしまいます。 あ〜、これも秋ならではの感傷でしょうか(笑)
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