| 2007年09月21日(金) |
伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」 |
なんとも不思議なお話でした。 ごく普通にミステリーを読むつもりで、手にした本だったのですが。 確かに、ミステリーの要素満載なのだけど、それだけじゃない。 ファンタジーとも言えるような、でもそれにしては、かなりリアルな邪悪さが書かれているシーンもあるし。 なんだろう、この不思議な世界観は・・・
読み終えて、解説に目をやると、その最初の一文が「なんとシュールな小説か」でした。 なるほど、そうか、シュールなんだ。こういうのをシュールって言うのか、とあらためて納得したりして。 シュール・・・現実離れしたさま、普通の理屈では説明できないさま、幻想的なさま。 シュールレアリズム(超現実主義)、絵画などでは、なんとなくイメージがあるような気がするけれど、小説でのシュールって、今まで体験したことなかったかもしれません。 でも、そう言われてみれば、確かにシュールな小説と言うのが、一番当たっているように思えてきます。
一人の青年が、突然自分の意志に関係なく、荻島と言う風変わりな島へ連れてこられたところから、話は始まります。 この荻島、仙台の先の半島から、ずっと南の小さな島で、なんと150年も外との交流がないと言う設定。 住人の中にも、変わった(と言うか、ありえない?)人が多い。 ただ一人、島と外とを行き来している、熊のような容貌の男。奥さんを殺されたショックから、嘘しか口にしなくなった画家。独自のルールに則り人を射殺する美貌の男・・・そして、極めつけはしゃべるカカシ。 優午と呼ばれるこのカカシは、安政の時代からここに立っており、未来を見通すことができるという、どう考えても常識外の存在なのです(^^;
このカカシだけを見たら、「オズの魔法使い」や宮崎作品の「ハウルの動く城」のようなファンタジーの世界を想像しそうですが、そう一筋縄で行くお話でもなく・・・(^^; のどかで美しいこの島でも、殺伐たる殺人は起こるわけです。 そして、未来を見通せると言うカカシ自身が、ある日殺されます。 うむむ、カカシでも「殺される」と表現するのか、とか思っちゃうのですが(笑) でも、意志もあり、言葉もしゃべれるカカシですから、やはり命もあるのだろうと、妙に納得してしまったりするのです。
未来がわかるはずのカカシなのに、なぜ殺されたのか、とみなは疑問に思います。 自分の未来だけは見えなかったのか、それとも、わかっていて黙っていたのか。だとしたら、なぜ? そして・・・いったい誰が殺したのか。 アヤシイ行動をする人物も、考えが読めない人物も、何かしでかしそうな人物もいて、それぞれに謎がある。 謎は、あちこちにいくつも散らばり、そのひとつひとつは、バラバラ勝手に存在するかのように思え、繋がりが見えてきません。
それが、最後にきて次々と解き明かされ、まるでパズルのピースが決まった場所に納まっていくよう。 もっとも、観察眼の鈍い私は、途中に落っこちているパズルのピースを見過ごすことばかりで、後で慌ててページをさかのぼっては、確認したりしたのですが(^^; 不可解だった一人ひとりの行動が、何のためだったのか、ここでようやく繋がってくるのです。 たくさんの謎が解けた時に、見えてくる風景。その瞬間だけは、なんだかファンタジーの風が吹き抜けていくように思えました。
現実にはありえない、あったら怖い、あったらまずいだろう、そんな陰惨な事柄も、あれこれ散りばめられていて、解決したから、これですべてOKと言い切れないところもあるのですが、それでも、読後感は不思議と清々しいものがありました。
謎のひとつに、荻島に昔から伝わっている「ここには、大切なものが最初から消えている」と言う言葉があります。 はたして、この島に欠けているものは何なのか、と言う疑問を、誰もがずっと持ち続けている。 その答えも、最後に出るのですが、それは私にはちょっとした感動でした。
とても不思議な小説、シュールでリアルで、優しくて残酷で・・・ でも、本を読んでいる間、この荻島の美しい風景がずっと頭にありました。 それは、心やすらぐ風景でした。
ちなみに、タイトルになっている「オーデュボン」は人名。 ジョン・ジェームズ・オーデュボンと言う、十九世紀のアメリカの画家であり、鳥類研究家です。極めて写実的で美しい鳥の絵を描いたと、本中で紹介されていますが、調べてみたら実在の人物でした(^^; オーデュボンの祈りとは、何を意味しているのか、それも最後に明らかにされます。 最近読んだ中では、おそらく一番印象に残るであろう本です。
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