I create you to control me
DiaryINDEXpastwill


2012年05月13日(日) キャラクターが勝手に生きてくれるということ

朝の連続テレビ小説の『カーネーション』は大変人気があったそうですね。ご多分にもれず、私も毎朝のようにみていました。その脚本を担当した渡辺あやさんのインタビューが、カーネーションのサイトにのっています。渡辺さんにとっての脚本はという問いに対して、彼女は以下のように答えています。

 私にとって脚本を書くことは、頭の中にいるキャラクターが自然と会話をしていて、まるでひとりでセッションしているような感じなんです。・・・・(私が)やりとりを側からのぞいているような気持ちでいると、好きなようにやってくれます。すべてのキャラクターが自分の中で勝手に生きてくれていますから・・・起こっていることをひたすら書き留めていくという作業ですから、脚本がうまくいった時ほど、私は何もしていない感覚になるんです。

これは渡辺さんだけではなく、しばしば、有名な作家がいうことと共通していますね。いわくキャラクターが勝手に動きだすような作品はうまくいくといった言説です。ここではキャラクターは作者がつくっただけの存在ではなく、つくりだした作者でさえも予測できない、なにかをもったものになっているというわけですね。もちろん、それを考えているのは作者なんですけど、それでも主体性はキャラクターの方にあるような、そんな体験をしておられるということでしょう。

その人らしさとか、その人のパーソナリティなどというものは、おそらく、この水準でとらえなければならないのではないか、と思います。あの人は○○という職業だ、○○タイプの性格だ、○○障害だと、既知の言葉をあてはめて理解しているうちはまだまだで、そこにあてはまらない何かがみつかり、自分にはわからないけれど、あの人を動かしている「なにか」があるということに気付くとき、人はそこにその人の「その人らしさ」をみいだすのではないだろうか、と思うのです。

このようにとらえれば、インタビューのなかでインタビュアーがうまく理解できないなと思うこと、インタビュイーもまた上手く語れないと感じていることは、インタビューの失敗ではない。むしろ、その人らしさへ到達するためのきっかけになりえると考えられます。

バフチンのいう「対話」というのも、こういうことを指しています。すなわち、つねに理解の途上にたちつづけ、境界線上の対話を続けることだけが、彼(女)を知る方法であるわけです。 もちろん、そのための具体的な方法はいろいろと工夫されないといけないでしょうが、ともかく方向性としてはそうじゃないか、と思っています。






INDEXpastwill
hideaki

My追加