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2005年02月10日(木) ナラティブセラピーの冒険

昨年、小森先生率いる「猫が洞翻訳工房」グループが訳出にとりくんでいたデヴィッド・エプストンの"Caching up with David"の翻訳が創元社からでた。邦題は「ナラティブセラピーの冒険」だという。

エプストンはマイケル・ホワイトとともに、オーストラリアのダルヴィッチセンターを支えるナラティブセラピストである。私が担当したのは、「内在化」vs「外在化」についての章と、カップルセラピーに関するナラティブな方法についての章であった。

ナラティブセラピーから外在化をとったら何ものこらないと言われるほど、重要な存在の外在化について理論的に考察してあって大変興味深い。また、カップルセラピーのなかで用いられる「相互参照質問法」は、ややこしく入り組んだ人間関係のなかで、お互いの責任を主張するだけの人たちとの仕事にはきわめて有効な視点を提供すると思う。例えば、学校批判を繰り返す家族との面接などには有効かもしれない。

カップルセラピーのなかでは、例えば離婚調停に際して、性格の不一致を、お互いの人格的な欠陥(障害)に求めようとする人たちがいることが問題になる。つまり、人格障害でもなんでもよいが、そうした診断名がつくことが、例えば子どもの親権争いなどに流用されることがあるというのだ。

日本では、まだそれほど精神医学と、婚姻関係の問題との結びつきは薄いかもしれないが、やがてこのような社会になるかもしれない。もちろん、DVや虐待といった「問題」を解決するために、精神科的な知識が使われるというのはよいかもしれないが、、、、要は使い方を間違えるなということだろう。DVや虐待という用語は、あいまいでたいしたことがない日常生活に思えてしまう事柄に対して「それは問題だ」という輪郭をきちんとつけ、弱者をエンパワーする契機を与えてくれる道具だ。

ちなみに内在化と外在化の章には、SFTで有名なビル・オハンロンがコメントをつけている。エプストンは「内在化・外在化」と「抑圧的・解放的」を等価なものとしてみているのだが、オハンロンはそれは違うという。

いわく、自分たちも彼らのエンパワーを志向してやまないが、だからといって我々は外在化された会話を使うわけではなく、内在化された会話を使う。要は、内在化か外在化かということではない。むしろエンパワーする会話なのか、ディスパワーする会話なのか、どちらかしかないのではないか、というのだ。

たしかに両者を等価にあつかって書いてしまったとしたらエプストンよりもオハンロンの説明のほうに説得力があるように感じる。しかし、これは内在化言説、外在化言説を、技法のレベルでとらえた時のことであろう。外在化というのは技法でありつつ技法をこえた思想のようなものでもあると思う。

つまりエンパワーするかディスパワーするかは、内在化言説を使うか、外在化言説を使うかというような技法のレベルの話しではない。そうではなくて、外在化とはすべからく解放を志向したものである。常にある文脈のなかで、どのような権力関係をターゲットとして想定するかということが、セラピストにとって技量が問われるところということになる。


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