I create you to control me
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| 2004年10月13日(水) |
複数の社会的アイデンティティが交差する場としてのスーパー |
昨日、クリーニングをだしていたところ、店員のもとに、別の客がビニール袋に入ったなにかを持ってきて通り抜けざまにさっとレジ台のちょっとおくまったところにおいた。このクリーニング店のブースは、あるスーパーのなかに入っており、クリーニングに用事のない人でも外を通れる。
A:これおかし[ (( ))] B: [い や:::: ]そんなんええわ。あんた::::。 A:いや、おかして。これ。 B:いや::::: [沈黙数秒間(体感)] A:(僕にむかって)えらい、恥ずかしいわhhhh。590円です。
Aはスーパーに買い物にきている客であり、Bは店員である。普通、客と店員のインタラクションとして上記の展開は異常である。クリーニング店の客でないとしても、「あ、どうぞ」くらいの返事が帰ってくることが期待される場面である。しかし、BはAがいうかいいおわらないかくらいの段階で、それにかぶせてBの依頼を断っている。しかも、単に断っているのではなく、いつもおばちゃんらがレジ前で「私がおごる、いや、私が」とやるあのイントネーションをともなっている(私がーいや私が連鎖と命名)。
実は、AもBもともに中年女性であり、Bは明らかにパートで昼間だけこのクリーニング店にきているようにみえる。Aとも地域の友だちなのであろう。つまり「これ、おかし・・」という最初の客の発言は、「これ、置かせて」という単なる依頼であり、そこでは店員の女性は、店員として(少なくともこの店のブースに何をおいてよいかの許可をだす人物として)志向されている。これに対して、店員は「これ、おかし・・・」を「これ、お菓子(だけど、受け取って)」というメッセージとしてとらえ、自らが「客と顔見知りの人間」として志向されていると受け取ったというわけである。
Wenger(1998)は人は一度に複数のコミュニティに同時参加しているといっている。この複数のコミュニティに参加しているということを、Wengerは複数の円の重なりによって図解しているのだが、このようにあらわすと以前、細馬さんの発表でもあったように、なにかコミュニティや、メンバーシップという概念が所与のもので、静態的なものであるかのようなイメージがついてまわる。
しかし、上記の例からは、店員、客という社会的なアイデンティティが、スーパーの店内というような場所にあっても、いかに所与なものではなく、社会的相互作用のなかでつくりあげられるものかということが上記の例からはみてとれるだろう。しかもBは「恥ずかしいわhhh」と私にその場を共有したものとして、私とのあいだに人として対等なアイデンティティのはっきりしない関係を持ち込んだかと思うと、次の瞬間には「〜円です」と、丁寧語をつかって店員ー客という社会的なアイデンティティをとりもどしている。 このようにアイデンティティや成員性というのは、つかのまあらわれては消えるようなものなのである。
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