I create you to control me
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| 2004年10月08日(金) |
ヘルメット実験と生徒指導 |
午後から質問紙実習にここから研。
質問紙実習は、けっきょく1時間グループ毎の話しあいとなった。 各グループとも議論がもりあがってそうだったので、僕はそのあいだをまわってアドバイスするだけでよかった。1時間の授業をほとんど学生だけでちゃんと議論ができるのはすごい。
ここから研は、10月末からUCLAのグッドウィンのところに在外研究にいかれる細馬さんの壮行会をかねて、細馬さんの発表。
ジェスチャーと言葉で、頭にかぶったヘルメットの上にはられた小さいシールの位置を教えあうという課題のインタクラクションの分析をしておられた。僕は予備実験のとき、ゼミ生とペアで被験者になったのだが、奇妙な課題である。
細馬さんは、まず、我々は言葉が曖昧になり、言語的なコミュニケーションが破たんしやすい状況を設定した上で、しかし、コミュニケーションに一時は失敗しているにもかかわらず、結局、最後には目的を達成できるということに驚いている。
さすがというか、なかなか普通の人にこういう驚き方はできない。
さて、 被験者のふるまいをみると、お互い手を動かし、「あー」とか、「それそれ」とか実にいい加減なガイドによって、しかし実に簡単に目的を達成している。お互いのふるまいが、失敗ばかりであるにもかかわらず、お互いの次の行為のリソースとなるという観点がとても面白かった。
個人的には被験者同士が別に決められたわけでもないのに、互いに手を動かしあい、それをリソースにして問題を解決しようという、まずその構えがあることにびっくりした。
実験条件では、右と左は、話者中心なのか、聞き手中心の視点なのかということによって、その解釈が複雑になるという話しであったが、しかし、ひとたび一緒に手を動かすという姿勢をつくることを相手にさせてしまえば、実は、左や右にいかせることは簡単なのだと思う。
おそらく、この一緒に手を動かすという姿勢に相手を引き込む事ができないと、相手は左でも右でもないところを探索してしまったりして、話し手のリソースとはなりえないのではないか?。
ふと、生徒指導の先生のインタビューで、先生がたが一生懸命、破られても破られても規則をしめそうとしたり、本来は正しくはない規則をまもらせるためには関係をとることが大事だと述べていたことが思い出された。
生徒指導というのは違反(行動)をさせないことが最終的には目的であろうが、実は、生徒とのあいだに「これは良くて、これは悪い」というルールを共有しようという活動であると思う。つまり、生徒が規則をやぶったら、それは正しく「悪いこと」として互いが了解しあえるような関係を築くのである。これが生徒指導で「人間的つきあい」をするということの本質であろうと思える。
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