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2004年05月19日(水) なんか仕事ばっかり

午前中は原稿書き。指導教官の田畑先生からの依頼。
田畑先生には勁草書房からでた心理学の教科書を謹呈したが、よく書けているということでほめられていい気分になっている。

しかし、こなしても仕事がへっていかない感じがするのはどうしてか?
これで後期になったらどうなるんだろうとちょっと心配。

先日の研究会とおなじときに、保育のシンポジウムがあったそうだ。
O先生が話題提供をされたらしい。その他にも、M先生や、Sさんなど聞きにいきたいメンバーがたくさん。われわれの研究会は、いつもその他にいきたい研究会とかぶってしまうのでうらめしい。まあ、みんな予定は一緒ということか。

内容を伝えきいた中では、カリキュラムや指導方針をどのようにいれこんでいくのかということが話題になったらしい。

僕は、子どもの生活を記述するときには、その場がどのような社会ー文化ー歴史的な背景をもってなりたっているのかということを抜きには考えられないと思う。Rogoffは発達をみるときには個人、人間関係、制度という3つの視点があるといっている。制度的な枠組みも、当然、記述に影響を与えているはずだ

しかし、状況論的に考えれば、カリキュラムをはじめとした、いわゆるプランというものは状況的、即興的になしとげられる。例えば、壁にかかれた「みんな仲良くしよう」といったクラスの標語は、それがあるからクラスが仲がいいわけではない。むしろ、クラスがもめ事をかかえた時、子ども同士がケンカしそうになった時、教師が「クラスのきまりはなんだったかな〜?」とほのめかしたりして用いるように、その都度的にそれとしてその場の参与者から参照されるものである。

そしてこのように見れば、カリキュラムや指導方針は、それがある「から」、このような子どもの動きがあるというように記述できるものではないと思う。カリキュラムや指導方針は、その場を秩序づけるものというより、その場を構成する一要素というべきだろう。

まあしかし、制度的なものをどう記述していくかというのは難しいものですね。





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