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2004年05月15日(土) 研究会1日目

朝から大阪へ。淀屋橋の立命館大学のサテライトキャンパスで第3回のボトムアップ人間関係論の合宿である。

この会は、立命館のサトウタツヤ氏を中心に、いろいろな分野からあつめられた研究者が協同して、ボトムアップに現場を記述し、理論構築をしていこうという研究会である。

とりあえず協同には、長い時間をともにすごす、飲み会をするというのが効果的ということでかならず研究会はとまりがけである。これは冗談のようだが冗談ではない。フィールドワークやスクールカウンセラーなどしていると実感されることである。

今回は、山梨大学の尾見先生、私、国立精研の宮崎朋子さん、東京大学の谷口さんが発表することになっている。

尾見先生はソーシャルサポートについて。

「サポート」は意志であり、結果をふくみこまない概念らしい。しかし、ジェフクルターがいっているように、心的述語というのはすべからく「達成動詞」である。つまり旅行にいくというよりも、到着したにちかく、勝負するより勝ったにちかい。そのようなわけで、サポートには必ず結果がふくみこまれていると思う。ongoingにみてみれば、おそらく人は「サポート」をやっているのではないだろう。

さまざまなことを受け手となる人々にやっており、それがあるタイミングでふりかえられた時にサポートとして見えてくるのだ。つまり一種のナラティブである。

そのような意味で、サポートの送り手が気付いていないのに、受け手がサポートをうけたと感じるという現象はおもしろい。マイケルホワイトらのナラティブセラピーでは、相手のよい評判を「こっそり」たてるということを重視している。これとも通じる話だと思った。

宮崎さんの発表は、これまでもしばしば聞かせていただいてきたものだったが、今回は一連の学会発表をまとめた発表でききごたえがあった。自死遺族の体験はしばしば「語り得ないもの」といわれるそうである。それに対しては「でも、今回のひとたちは語ろうとしているのだから」といった返答がなされる。このような意志の問題としても「語り得ない」という経験は説明できるかもしれないが、語り得ない経験というのは語ろうとおもったから語れるとか、語ろうと思っても語れないというようなものというよりも、むしろ、語る前に、すでにそのストーリーをその本人が生きてしまっているようなそんなものではないかと思われる。つまり、他者からは明らかに見えているのに、自分にはまったく意識されないというような類いのものである。

いろいろ喚起される発表で大変勉強になった。自分の研究がピンぼけだったのがおしいところ。
 


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