| 2007年03月06日(火) |
>>2年遅いプラネテス・ファン。 |
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いやぁ、面白かったよ。プラネテス。
昨日写真ダイアリーにUPしてた時は、 まだDVD5巻までしか見てなくて。 その後、家帰って最後(全9巻27話)まで見たんだけど、 いやぁ胸詰まったわ。また涙出たし(もろい)。
つーか、前半は普通に感動する、 正義感溢れるアニメって感じだったのに、 途中から一気にドープになってったねー。
− 人の感情が、静かな海の上で荒れ狂う −
近未来におそらく訪れるであろう、宇宙開発、宇宙資源採掘、 そしてゴミ問題。
かつてのガンダムの宇宙世紀とも似てとれる世界観は、 ガンダム総指揮者、冨野が言うリアリズムにも近いものがあるね。
でも、プラネテスではそのリアリズムにもう一歩踏み込んだ感があるよな。
それは、ガンダムでは決して触れられていない、 地球連邦政府の発足経緯などに対する 「人は一体どんだけ戦争して、世界は一つの国になったんだ!?」 という根本的な疑問にも、プラネテスなりの回答が用意されているから。
結局のところ、プラネテスの世界では国境は無くなってはいない。 それどころか、先進国と途上国との貧富の差は今以上に膨大で、 地球温暖化の問題もあってか(?)、 途上国は深刻すぎる食料不足に見舞われていたりもする。
そして、そこで描かれたのはガンダムのジオン・ダイクンが提唱した ”ニュータイプ理想郷”とは違った、もっと至って現実的な問題。
- 人は決して分かり合えない −
人は宇宙に上がっても、人以上にはなれなかった。 思念が交信しあうなんて、エスパーみたいな能力などありえない。
人と人との間にある「宇宙」は、 手を伸ばしても決して届くことはない。
結局は、人は皆、孤独であったのだ、と。
お互いを100%理解し合えることなんて、できっこないんだ、と。
でも、だからこそ、「愛」があるんだよ、と。 タナベちゃんは言った。
全ては「愛」でつながっているんだよ、と。
数々の人物が宇宙空間の中で、欲望にかられ、我を忘れ、孤独を悟る中、 タナベちゃんは最後まで「人」であり続けたのだ。
その着地点は、映画版(新解釈)Zガンダムに近い。 ファーはタナベちゃんでもある。
今の時代、ハッピーエンドじゃなきゃやってられない。
この世界は一歩ずつ終わりに近づいているのだから。
///// それにしても、タナベちゃんカワイーねー。 テンションあがってる時、めっちゃ好き。 今度女の子に何かプレゼントあげるとしたら、 ピンクのベスト(ちょっとオーバーサイズ)かしら(笑)?
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