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ちょっと前にボーダレスのSHINに教えてもらって、 ず〜っと気になってたっていうか、待ち遠しかったこの企画。 やっぱり行ってきちゃいました!
第138回甲南大学現代講座
演題「ニュータイプを継承するために」
講師 富野 由悠季 氏
甲南大学、初めて行きました。 ってか、(関大以外の)他の大学行った記憶が実はないんやけど、 とにかくキレイやね〜。道とか草木、ベンチ・・・えらい違いやわ。 さすが、坊ちゃん大学(笑)。恐れ入りました。
で、会場時刻の13時前に着くと、既に長蛇の列が・・・! んまぁ、何とか入れましたけどね。142講義室。
で、講義の前にドリンクでも調達しようかと思ってキャンパスを回るが・・・ とにかく飲み物を買うのに大苦労。キャンパス一周しましたよ・・・。 だってどこにも売ってないねんモン。 あんなにごみ箱ばっかあるクセになー。謎やったわ・・・。
そんなこんなで講義室に戻ると・・・知ってる顔が一つ。
あらぁ、ウチのSTAFFの千春ちゃんじゃあないですか(笑)。 ・・ってまぁ、金曜日にモツ鍋してた時に教えてあげたんで、 何となくは予想してたんだけども、ね。
そうこうしてる間に講義が始まったんだが、 この感想というのが・・・んまぁ、微妙〜な感じで。
別にそれは、「ニュータイプを〜」のテーマはただの客引きであって 肝心のニュータイプについてそこまで触れられてないから・・・ ってわけでもないけども・・・。
ちょっと、レベルを落として話す箇所が多すぎた感はあったな〜。 富野の表現者としてのこだわりを話す場面でも、 「それくらいは当たり前やろ〜」ってトコに時間を割いていて、 歯がゆかったなぁ。
もちろん、僕らじゃあ着いて行けないくらい崇高な”平和”哲学とかも あったんだけどもね。 そういうところは一語一句がスゴイ深いから、自分の脳が処理するよりも 先に次行っちゃったりする・・・。
”ニュータイプ”ってのは、お互いの理解がより深まること =争い、戦争のない世の中。 とすると、日本人が一番ニュータイプに近かった(?)時代は、 平安時代と江戸時代らしい・・・。
それは単に戦争が無かった(少なかった)からだそーだ。 なんちゅー解釈だ・・・(汗)。
他には、「自分はロボット・アニメを作りたいわけじゃなかった」とか、
「ガンダムが新鮮だったのは、敵も(思想を持った)人間だったからだと 評価されたが、自分にとっては、そんなこと(設定)は当たり前のこと。 なぜなら人は”ドラマ”に引かれるのだから」とか、
「今頃、スピルバーグとか誰々とかを潰しててもおかしくないくらいなのに、 それが実際にはできてない自分に、とてもがっかりしている」とか、
「大人は無責任に低俗なアニメ作品を作りすぎだ。だから自分は 世の中の子供たちに何かを伝えられるような作品を作るべきだと思った」とか、
「自分はどんなアニメ作品でも、それを映画として作ってきた」とか、
「アニメであっても、映画であっても、(あるいはDJであっても)、 それの根本にあるのは”芸能”である。 そして”芸能”の究極的ルーツは”お祈り”であり、そこから”舞”となり、 表現の世界へと進んでいくのだ」
みたいな事を言っておりました。
でも・・・やっぱ笑えた(というか、呆れた)のは最後の質問コーナーかな。
何人かの質問に答えて、もう終了時間も過ぎていて 「もう、これでラストだから・・・」って言って、 指名したオタからでた質問が、
「僕はアニメーションの勉強をしてて、 作品なども作ったりしてるんですが、 富野先生は作品を作るにあたって、 何か気をつけてる事とかありますでしょうか?」
・・・・。
オマエ、今までの80分あまりの講義で一体何を聞いとってんなっ! ・・・このボケカスが!!
・・・とは、だいぶ席が遠かったので言いませんでしたが、ね。
でも、この時の富野は大人(っていうか、もうジイさんやけど) やなぁと思ったな(笑)。そのクソしょーもない質問をキレずに、 上手く流しながして回答に代えておきながら、 質問者をソフトに(ほんの一瞬だけってのがミソ)ディスってたし! (あのオタ、ディスられてたの気づいてないな、多分・・・笑)
あんなヤツがおるから、富野はガッカリするのだ。 ”視野”が狭いな、と。 ”ロボット・アニメ”にしか興味のないヤツは、やはり頭打ちするらしい。 もっと色んなところから吸収しなけりゃならないのだ。
それはロックDJにsも然り、である。 もー今更ですが、ね。
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