DJ SEO's DIARY

2005年03月11日(金) >>今月でカスタマ廃刊・・・「わかって」た?

今日、コンビニに立ち寄って知りました。


やはり世間の目は厳しいのか・・・それとも、ただ読者がわかってない
だけなのか・・・あぁ、僕は”カスタマ”が好きというよりかは、
あの雑誌を作ってきた編集部が、好きなんですよ。

ご存知の方も多いと思いますが、”カスタマ”は、”カジカジ”の大ブレイク
のきっかけとなった、大阪梅田編集長率いる”カジカジ”2代目編集部に
よって創刊された雑誌です。90年代後半の”カジカジ”の影響力ってのは
今とは比べ物にならないくらい大きくて、当時メンズ・ノンノやスマート、
ファインボーイズ、アサヤン、・・・とは、全く異なった切り口での雑誌展開
は本当に新鮮でした。

”関西WALKER”などの地域密着型の流れを組む展開を、ファッション・シーン
でもイの一番にやってのけたのが”カジカジ”だった。
そしてファッションシーンだけでなく、クラブ・イベントやスケート・ボード、
グラフィック・・・などとも積極的にリンクして、全体的なシーンの
拡大に大きく貢献した。

”座談会”と題したオシャレ討論会なんてのも、実に新鮮だった。


かつての裏原宿的な”仲間内で盛り上げる”やり方は正に90年代。
人気ショップのオーナーは、”服屋で成功した青年実業家”ライクな
書き方で、若い子に興味や憧れを抱かせた。DJやスケーターなども
よく紙面を賑わし、大阪ローカルなれど”プチ有名人”が多く生まれた。

クラブ・スケジュールが充実しているのも本当に便利で、
ナイトクラビングのコーナーには一度載りたいなぁ・・・とか
今でも思ったりしてます(でもダサいから無理です‥・笑)

どんどんヒドクなるアメ村だが、数年前は今よりかはまだ良かった。
当時は「アメ村の住人になりたい」、とよく思ったモンだ。


2000年ごろ事情により大学を辞めた僕は、
すぐさまアメ村のナイロンで働いた。
憧れのショップ・スタッフになれて嬉しかった。

ミナミの服屋は周りのショップ店員らとも、すぐに仲良くなれるから
とても新鮮だった。ちなみにDJヤマシタは僕がナイロンのパルコ店で
働いてる時に2Fで働いていて、それで知り合ったのだ。

でも僕は基本的に”働く事”が嫌い(多分、それはDJであっても)なので、
一ヶ月でクビになった。憶えたのはシャツのタタミ方だけだった。
でもそのおかげで僕の家のTシャツをキチンと整頓できるようになった。


今はもうないけど、ラウンドアップっていう店の人ともかなり仲が良かった。
僕は当時無職で毎日のように入り浸ってた。BGMを担当してた。
要らない服とかいっぱいもらった。

これでスナップの時に「もらいもの」って書けるぞっ、とか考えて
一人でウキウキしてた(結局ダサいので声はかかりませんが)



”カジカジ”の凄さは服とはとどのつまり、やはり「着こなし」で
あるということを読者に再認識させたことだろうな。

他の雑誌は、ブランドやアイテムが先行してて、結局知識だけを与えすぎ
てたんやろな。だから僕みたいなしょーもないボンズが、大阪に出てきてすぐ
くらいの時にノリで挑んだ、「オシャレクイズ選手権(?)」的な
筆記オンリーの試験で、まさかの全国9位(爆!)も取ってしまうんだよっ!


頭でっかちだったからね〜僕は。今もかもやけど(笑)
高校生の時はファッション誌と試聴に明け暮れて、
基本BP(バトルポイント)ばっか増やしてたから!


街の眼カメラマン、高橋さんもステキやったな。
あの人、見た目カケさんそっくりやねん(誌面上しか知らないけど・笑)
座談会でのトークからも「あ〜やっぱこの人もロックやなぁ・・・」
と思ってました。あの人の撮り方(というかあの企画の場合はオシャレ感)は
ほんとに刺激的だったな。そりゃフォロワ−も生まれるわ。

高橋さんと黒川さんが、BOONにも名を連ねるようになってから、
BOONも一気にオシャレっぽくなったんですよ。にくいねっ。



それにしても、やはり結果論で言うと”カジカジ”を離れたのがマズかった
んちゃうかな。この人たちもさすがに当時のあの部数ウナギ登りの状況下では

少し”天狗”になってしまったのか、はたまた全く別の大人な理由からなのか
はわからないけど、やはりマズかったんちゃうかな。


前から言ってるけど、「わかってる人」ってのは少ないんだよ。


音楽にしても、服にしても、料理にしても、何にしても、
圧倒的に「わかってない人」が多いんだよ。
んで、そういう人相手に商売するのが基本なのだ。

だから凄い矛盾なんだよね。
「わかってる(と思われる)人」が「わかってない人」に認めてもらう
ためにがんばらないといけないんだから。


もちろん、そんなんも含めて「わかってる」んなら問題ないんだけど。


つーか、「わかってる」って表現はとても曖昧だし、僕自身が
「わかってる」とか言う気も、実はないんだけど、
自分が「わかってない」ってのを「わかってる」ことは重要なんだよ。
(言いたい意味・・・わかりるかい?)


音楽なんかは特にそのいい例で、僕も含めてみんな基本的には
「わかってる」と思い込んでるんだよね。(特にDJは)


それは、自分の知ってる音楽の価値観が全てだと錯覚しがちだってこと。

いやね、もちろん今日知った音は、昨日はまだ知らないワケなんだから、
そういう意味ではそれぞれが「まだまだわかってない」とは思ってるハズ
なんだけど、僕が言いたいのは


自分より「わかってるであろう人」をどこまで「わかってるか」?


これって凄いムズカシイよね。
だって自分より「わかってる人」を「わかる」ってのは究極無理だから。


例えば、僕よりも小西康陽の方がドー考えても音楽詳しい。
けど、「どれくらい?」って聞かれたら困っちゃう。

でも薄っすらと、何となく「あ〜これくらいかな?」とか、
「わかってる」気もする。あくまで何となくだけども。
でも実際はそんなん”触り”程度のモンであって、実際にフォローしてる
モンっていったら、半端じゃあないと思うよ。



じゃあ例えば、JAZZやクラシックからの影響をほとんど受けていない僕が
語る”音楽”とは何なんか?


僕はJAZZやクラシックからの影響は、1ミクロン程度でありながらも
ロックを語るにはそれくらいでいいと”勝手に解釈”しているからでは
ないか?それはただ、「わかってる気」になってるだけではないのか?


正しくその通りだろう。今の僕にJAZZとクラシック各1000枚分の
音を体内に流し込んだら(厳密に音を体に入れるということ)、今とは
全く違った音楽観でコメントしているだろう。


だから、「わかる」ということに限界はないのは、どの世界であれ確かだ。
僕らに最も必要なのは、「わかってる」気になりつつも、「わかってない」
と自分を修正する謙虚さと、「わかる」ことを目指す、あくなき探究心である。



・・・・。



この「わかってる」ネタは、自分自身考えるとキリがない。
どんどん、哲学の深みに吸い込まれる・・・。


ただ、本当に「わかってる」モノが受け入れられない時代に突入してきて
しまったのは、確かだ。それが何か自分自身すごい危機感を感じる。


間違った方向に進んではいけない。
それではこの僕が人類を粛清せねば、ならなくなる!
でも違う。それはただのエゴだ。僕はシャアではない!!


僕が絶対正しいなんてことは、ない。
実はこの”カスタマ”廃刊もなるべくしてなったことかもしれない。



でも、でも、やっぱり「カッコイイ」モノがなくなって、ショーも無いモンが
残るってのは、納得がいかない!!
良いものは残さねば・・・!


「あの雑誌は良いものだ・・・!!!」(マ・クベ)




何度も繰り返すが、これは「世の中のあらゆる物事」において
最も大切なことだ。それを創るのは僕たち人間一人一人なのだ。







で、話は戻りますが・・・・





”カスタマ”と”カジカジ”の違い、わかってますか?



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