| 2004年12月19日(日) |
>>Zガンダム(劇場版)が待ち遠しい。 |
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昨晩は体調不良だったわりには、”ROCKDO”楽しめました。
最近本当に調子いいみたいで、スゴイです。 GROOVERにもお客さん流れてくれたら、いいんですがねー。
今日はクリスマス・プレゼントとか色々買い物したかったんだけど、 体調悪化しつつあったんで、家でのんびりビデオ三昧。
Zガンダムの劇場版が来春公開ってことで、楽しみすぎる僕は 気持ち先走り過ぎて、なぜか”ZZガンダム”のDVDラスト4巻をレンタル。
個人的にはファーストをも越える名作である”Z”の続編にあたる ”ZZ”は”明るいガンダム・アニメ”をモットーに製作されているためか、 ”Z”ほどのシリアスなストーリー性はないんだけど、後のラスト作、 『逆襲のシャア』への布石となる為、ガンダム・ファンなら見逃せない。
でもね、”ZZ”の痛いトコロは前半のズルズルとした引っ張り。 一話完結系の”ロボット・アニメ”テイストでズルズルと。 これが耐えられないんだ。だから、もう既に3回見てる僕は後半の 話が盛り上がってくるラスト4巻を借りたんだけど。
ちょうど話は廃人寸前のカミ−ユが出てくるところで、狙い通りドンピシャ! ”ZZ”のストーリー的な面白さはこの辺から始まるんでね。
悪魔のマシン、サイコガンダムは再び現れるし、かつてガンタンクの操縦士 だったハヤトは反地球防衛組織”カラバ”の隊長として、壮絶な死を遂げる。
地球に住む連邦軍の幹部らは腐敗しきっていて、地球の引力にしがみつく日々。 僕らのアイドル、セイラさんは投資家として活動しながらキャスバル兄さん の消息を探る日々。
ニュータイプはかつて以上に戦闘の道具として扱われ、キャラ・ス−ン、 マシュマー、プル、プルツーなどの悲運な強化人間も当たり前な時代に。
旧アクシズ、現ネオ・ジオン軍を率いる、ハマ−ン・カーンもまたウブな 女大将で、自分の恋心を上手く表現できないせいで人生失敗。
まあね、こうやって書いてもなんだろ、僕の文章力じゃあ面白さが 上手く伝えられないんだけどさ、何て言うのかな・・・
ガンダムの登場人物の思想って、何か人それぞれある程度のスジが通ってる から、どっちが正義とかないんだよね。みんながそれぞれの”義”に従って るだけっていうか。”逆シャア”のアムロとシャアなんて最も究極なんだよ。
何百年先、地球にも宇宙移民の時代が訪れるかもしれない。 もしその時、ミノフスキー粒子(電波通信やレーダーを受け付けない粒子。 ミノフスキー博士によって発見される)が発見されていたら、 有視界戦闘におけるモビルスーツの開発は避けられない。 人が宇宙で生活するようになれば、人体のその適応能力、 自然的な進化、変化によって、より感覚的に、 より機能的に成長するはずなのである。それがニュータイプだ。
ニュータイプは宇宙の意思である。人類は空(宇宙)に上がるべきである。 そして、新たなる時代を踏み出すべきである。それがシャアだ。
だがそのために、金、権力、欲望が混ざり合う。やはりそれも避けられない。 シャアのエゴのために、多くの罪のない人々が死ぬ・・・それも許せない! それがアムロだ。
カミ−ユはそんな世の中の渦に耐えられなくなって崩壊した。
ジュドーは自分の日々の生活を支える戦いから、人類の希望を背負う 戦いへと変化しているのを自覚しながらも、ハマ−ンの意思に吸い寄せられ、 その運命に従うように歩んだ。
ハマ−ンはジュドーとなら、新しいニュータイプ社会を作れると思った。 だが、ハマ−ンの言うニュータイプ社会とはシャアの言うそれほど 崇高なモノではない。
ハマ−ンの野心の根っこはザビ家への見返しにあるからだ。 それではザビ家と大して変わりはしない。
と、このように色々な思惑と思惑がどんどん大きな渦となっていく。 これがガンダムの面白さだ。だがテレビ・シリーズゆえにどうしても ラストのバタバタ感と強引さがあるのは否めない。
それが今回、映画版にて手直しと、おそらく追加もされているに違いない。 僕はもっと政治的になることを期待している。 作中であまり登場しなかった、アナハイム・エレクトロニクス社とエゥーゴ、 ティターンズとの汚い三角関係をもっと克明にして欲しいな。
後はラストのカミ−ユとシロッコとハマ−ンの会議場での、三者政治論を もっとしっかりやって欲しいな。
以上、ファンからのご意見でした(笑)キモいすか?
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