非日記
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| 2023年06月14日(水) |
私、ここ十年でちょっと賢くなってきた。 |
ところで 私、年老いて視力も急に落ちてきたし老眼も出てきたし焦点も合いにくくなってきたわけ。夜間の運転怖くなってきたし、もうすぐ免許の更新が来るか眼鏡も直さなきゃなと思っていた。 しかし視力の落ち具合が勢い良すぎたので、念のため目の検査もしとこうと、いつもの眼科に行くことにした。どうせ眼科に行くんだから、ついでにそのまま眼鏡の処方箋も書いてもらおうと思ったわけよ。理由は、眼鏡屋でやるのめんどくさかったので。私が常日頃からお世話になってる眼鏡屋さんはインターネッツではとても不評なのよね。おもに接客方面で。私は何がいかんのかわからないんだけど、なんかいかんらしいよ。私は好きなんだけど。ただ信用度に不安はあるので、眼科なら信用できるのかって言われたらそれも微妙なんだけど、まあ色々あって生まれ始めて眼鏡の処方箋ってのを書いて持ってみようって思ったわけさ。 ちょっとお金はかかるけど、眼鏡屋にいってイチから測定し直しとか面倒だし、てゆうかちょっと前に眼鏡屋に眼鏡があってない気がすると測ってもらいに行って「度は合ってる」と言われたけどよく見えないから目の病気を疑ったわけで、つまり眼鏡屋に行ってまたもや「度ならあってる」って言われたら「いやいや、あってないから来てるんですけど」という微妙な気持ちになるからな。
件の店の店員さん達はなんか雰囲気が割と好きで、だから贔屓してるんだけど、でも心から能力を信用してるかって言われたら、そこは微妙ってことよ。まあ私は「信じているというわけではない」のが常にデフォルトなんだけど。でもそういう言い方するとまるで私がすごいハードボイルドでクールな人間みたいに見えるよね。そこは違う気がする。むしろ世の中の人々が信じすぎっていうか、いや違うな、むしろ私は「世の中は良い人ばっかりじゃないのよ」と心配される方が多いような気がする。なんというか私が信じているところと人が信じているところがなんかちょっと違うような…。あ、わかった。私、自分を信じてるわ!
例えば、見知らぬ人間と相席を要求されたとして、「いいですよ」と軽く受けた時に、その人間が無害な人間だと信じてるから了承したわけじゃない。こいつは隙を見て私に危害を加えようとしてる可能性が無きにしも非ず…とひそかに思ってるから、動向は伺ってるし、例えば飲食物や荷物を置いたまま席を立つのはやめようと思っているし、相手と自分のリーチも測ってるし、周囲の人間の動向を伺いつつ人の目がなくならないか、人の目が途切れるとしたらどの程度の時間か考えていて、「今のこの状態をキープするなら、そう簡単には仕掛けてはこれないだろう」とか思っているから気安く「いいですよ」と言うわけ。あと断った時に「なんでダメなんだよ!」と突然ぶち切れられたり「お高く留まりやがって!」と逆恨みされるリスクと天秤にかけたりしている。むしろ想定したことすらなかったと言われたらちょっとショックを受ける。おかしい。道を歩いていただけで見知らぬ人間に怒鳴りつけられたり、道を歩いていたら横につけてきた見知らぬ人間の車に乗るのを断っただけで罵られるのが普通ではないのか…?
あのね、おまえがただの善良な人間かもしれない可能性はちゃんとわかってる。それが殆どだとわかってる。でも私も自分で自分を守らなきゃいけないの。交番の場所を教えているのに派出所で道を聞こうとせずに中学生を人里離れた山の奥に「すぐに済む用事」のために車に乗せていこうとする人間を信じることはできないねん。だから「もう少し車の近くに寄ってほしい」と言われても寄ることはできないし、「自意識過剰かよ!」とののしられても「いやったらいや!」と断ることしかできないの。見知らぬおじさんが小学生の後ろをずっとついてきたら、公安のおじさんが言ってた「点検と消毒」みたいな事をしてとりあえず撒かずにはいられないわけ。おまえたちが善人かもしれない可能性がある事はわかっている。私に想像もつかない理由があるのかも。でもリスクをとる必要がない時には安全策を取りたい。自分の裁量で対処可能なうちに状況をとどめておきたい。どうかわかってほしい。
おおよその場合で自分の力量や裁量でまあまあ自分を守れると思ってるし、もし自分を守れなかったなら、それは「もう仕方がないレベル。私に無理な事は大抵の普通の人間にも無理!だから諦める!」というレベルに自分を信じています。
でも私が相手を凶悪犯かもと疑って全力で警戒している事については、私が間違っているのが殆どで十中八九相手は善良な普通の人だろうから、心から大変申し訳なく思っているのは確かです。だから余計に態度も当たりも柔らかくなるよ。これがぼんやり相手を信じているように見える原因じゃないかと思う。違うよ。善人でも自分の善性を疑われてると感じたら傷つくだけでなくめっちゃ怒る人いるし、悪人はもっと逆切れしやすいんだよ。自分的には全力で最もリスクの低い最善策をとっているつもりなんだけど。
まあともかくそういうわけで、たまには眼科医で処方箋書いてもらおうと思ったわけ。そしたらさ、眼科で検査担当の看護師さんが私の前に膝をついて「眼科で処方箋を書いてもらわずに直接眼鏡屋さんに行って測ってもらって購入した方がいいと思う理由」を一生懸命に言うねんな。すごい。なんだかちっちゃい子に言い聞かせてるみたいだな…と言われながら思っていて。…私こういうのなんか独特の気分になるんだよね。なんかさ、こう、暖かい小春日和に、日向でちょっと小高い石垣の上あたりに腰かけて、短い脚をパタパタさせている時の気持に似ているというか…。なんだろう、ちょっと楽しいような、なんだかうれしいような…。
「ハッ!?」と気が付きました!
わかった! この看護師さんは私に「希望してましたけど、やっぱり眼科で処方箋はいらないです。眼鏡屋さんで直接視力を測定して購入します」と、「眼科の先生に直接、私が、私の希望で、言ってほしい」んだな!?
そしてもう一段階気が付きました。
私!だんだん賢くなってる…!?
たぶんこれ、私、時々されてる。小売りの店員とか新サービスの売り込みの時とかにたまにあるやつで、まれに気の荒い人に「なんでおまえはそんなに馬鹿なのか!」って感じに怒られるやつだ。あとお友達が後でなんか「ひと仕事したわ。疲れたわ…」とか「よっしゃなんとかクリアしたわ!」みたいになってる時…!
これはね、相手は単に私に自分の価値観や意見を滔滔と説明してるわけじゃないのよ。だから「ふーん、そうなんだー」とのほほんと聞いてるだけじゃダメなんです。私に「なるほど!」と納得して「私もそう思うわ!」と意見を翻して私に言うとおりにしてほしいと相手は希望して頑張って私を説得しようとしている時!しかし「私はあなたにこうしてほしいと熱く思っている」となんでか皆がなかなか言わなくて、「私がそうすべきだと考える、その理由は…」の後ろの方ばっかり一生懸命言うから、大抵気がつくのに時間がかかってたんだけど。
それで私は件の看護師さんが私にしてほしいことがわかったんだけど、なんでそうしてほしいのかがイマイチわからなくて、えー、なんでだろう。どうしようかなぁ…となった。 しかも雰囲気的に「先生には内緒で説得」て感じなんだよね。先生も同じ考えだったら先生も同じことを言うだろうから、わざわざ看護師さんがこっそり陰で言わないだろうしな。先生や医療報酬について思うところがあるなら(例「うちのドクターは必要ない検査で金をとっているがめつい医者だ!私の正義感がそのような不埒な医者を許したくない!が、今の職場を出ていくのも嫌だ」)それはそれでそういってくれれば「そうなんだ。別にいいよ」となるんだけど。もしくは「もうすぐお昼だからめんどくさい検査せずに早く休憩に入りたいのよー」とか「私、実はこの検査苦手なんだよね。できればやりたくないのよ」とか「私うちのドクター嫌いなんだよね。ちょっと地道に収入を減らして嫌がらせしたろ」とか「私は、こういう検査はどうせお店の方で無料でできるんだから、病院でも無料でできるべきだと思うのよ。この診療報酬は間違ってると思う!でもそれはこの病院では私だけの意見だから内緒で人類に仲間を増やしたい」とか「あまり頭の良くない人間を教え諭して自分の言うとおりに動かせると、支配欲が満たされて有能感を感じられてとっても楽しいの!」とか、なんかこう「なるほど!まあ、いいよ」となる理由がないと納得できないんだけどなあ…。
どうしよう…。「なんで?」って聞いてもたぶん正直なところを教えてくれなさそうだし、私が聞いている理由の部分を勘違いするだろうしな。 えー、うーん。どうしようかなー。
そうこうしているうちに「わかりましたか?」と言われたので、「私が先生にそういったらいいんですね?」と聞いたら「そうです」って言うから、先生にそういいました。 「えっと、看護師さんに、先生にこうこう言うようにって言われました」
……モメましたよね。
正確なところでは同じことを二回やったんだけど。先生と検査の看護師さんのところ二往復したんだけど。こっちで説得され、あっちで説得され、…と。素直に行ったり来たりした。決めかねてしまって。いや、私はね、前段の理由があって眼鏡屋でなく眼医者で測定してしまっておきたいというのがあったものだから(それもちょっと看護師さんには言ったんだけど)、もともと視力測定するつもりでいるわけね。でも「絶対!断固として!」ってほどじゃないから、看護師さんの理由如何によっては変更してもいいんだけど。でも看護師さんが「先生に内緒で」「自分(看護師)の介在を隠して」「患者が自分の意志で決めたかのように」してほしい様子なのが、ちょっと気になるのよね。なんでかなーと。だって看護師さんが自分の意見に自信があるんなら、直接先生に提言してもいいわけでしょ。先生と意見が対立しているなら、先生に言わないでと口止めするならわかるけど、でもそこまでははっきり言わないし、そもそも医療方針が対立しているのを患者に隠して隠れて説得するのはちょっと違うと思うし。うーん…と迷いつつ、ふにゃふにゃ適当な返事しながら行ったり来たりするはめに。
最終的には件の看護師さんは先生に「なんで?」「どうしてそういう風に言ったの?」とちょっと怒られて先生の言う事を聞かされてましたね。 ごめんね? 患者の判断を独断で意図的に誘導しようというのは、たぶん、先生にばれたら看護師さん怒られるんじゃいかなってちょっと思ってたんだけど、でも先生にばれたら怒られるようなことはそもそもしない方がいいのではと思わんでもないしな。 てゆうか怒られると思ってるからこそこそ言ってるんだろうとは思ってたんだけど。だってお姉さんが「私がこんな風に言ってるのを先生が知ったら私が怒られるから先生には言わないで」と言わなかったからさ…、もしかすると先生も「ああそうだね」て可能性があるのかと思って。 検査室に行っても検査してもらえなくて戻ってくるのを先生に「なんで?」と聞かれたら「いやあ、なんでですかね?」となるじゃん。だって「別にいいんだけど、なんでかなあ」とずっと考えてたし。
看「だって……なのに」 私「(こっそり内緒だったろうに漏らしちゃって)すみません」 看「別にいいですけどぉ、でも……なのに」 私「(こうなるんじゃないかなと見当がついていたのに誘導して)ごめんなさい」 看「もういいですけどぉ」
私の気持ち伝わったかな…。 「こいつ頭悪すぎる…!」と思ってるんだろうなぁ、ごめんね?(苦笑)
だってさ
1「これがお得です」➡なるほど、わかる。 2「これが便利です」➡なるほど、わかる。 3「これがかっこいいです」➡なるほど、わかる。 4「だからこれを選ぶべき」➡ちょっと待って、急にわからなくなった。
大体サービスや商品の説明の時、上のようになるねん。 3と4の間に時空のねじれが生じているじゃないの。各論はわかる。でも1も2も3も4の理由にはならないよね。「AとBを比べて安い方を選ぼうと思っている。そしてAはBよりも安い。だからAを選ぶ」ならわかる。なのに前提を吹っ飛ばしていきなり結論を言われても。 そしてめっちゃ「なんでわからないの!?」と怒られるねん。おまえこそなんで私がわからないのがわからないの!?と思うけど。
「これらを理由として私はそうするべきだと思う。そして私はあなたにもそうしてほしいと思っている。なぜなら」 ➡ここが「説得」のスタート地点じゃないですか。
あなたと同じように私がするべきだとあなたが私に望む理由をこそ説明してください。これが相手が親しいお友達で、そして私の方にこだわりがない場合は「友達が私にそうしてほしいと望んでいるから」が私の方で理由になりうるんだけど。だから時間短縮のために、先に「理由はともかくこうしてほしい」とまず言ってくれた方がいいと思う。まず最初にそう言われないと説得されている事に気が付かない危険があるから。 「こうしてほしい」と言われたら、たぶん私は「なんで?」と聞くと思う。でもそう聞いてる時には、大体もう相手の希望をきくかきかないか八割ぐらいは決まっていて、後は私の理由と相手の理由の重さや切実さの違いとか、それによって得られる結果の内容によって微妙に変わる。「私の嫌さと相手の嫌さだったら私の嫌さの方が軽いかな。じゃあ私は我慢できないほどでもないからここは譲るか…」とか。大体は私の嫌さはそこまででもないので、殆どの場合は「いいよ」って譲ると思うから、その方が手間がかからnと思う。 これは大変簡単に言う事を聞かせられてしまうリスクがあるので、お手軽すぎるのと、その場合私が天秤にかけているのは友人関係の継続自体なのでうっかりするとリスクが高いから今まで黙ってたんだけど、割とそうやねん。
あと、一生懸命教えてくれる時に足をぱたぱたさせる気持ちも「あれなんだろうな」と思ってて最近気がついた。あれはね「わたし、今優しくされてる…!(甘やかされてる…!)」という気持ちだった。
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