非日記
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2011年12月03日(土) 意味不明だと固執するのかもしれない。

当日に選挙を思い出して終業間に合わずにいたら、大家の息子に選挙に行ったんかとネチネチいびられた私ですが、人様はいかがお過ごしでしょうね。

……おかしいですよ。
私は昔から人付き合いどころか家族付き合いからして大の苦手で人と深くかかわろうなんて少しもしてこなくて、先日何かの○い……というか性格診断では「心の内も外も悪」と言いきられたぐらいだってのに、どうしてむやみやたらに人様に絡まれるのであろうか。と、こういう被害妄想が悪の根拠らしいが、そう言われると「じゃあアレも被害妄想で、アレも被害妄想で、ああいうのも被害妄想で、あんなんも被害妄想だとオマエは言うのか!?」とずらずら被害妄想が炎のごとく燃え上がります。「正当な憤りである」と言ってもらえれば「ならいいんだ」と淡々と流して生きていけるのに罪作りな話ですよ。

最初は「私はそんなに悪か?」と微細な不満を感じないのでも無かったのですが、三分ほどしたら、「おまえがそうだと言うのならば、別に構わんけど」という気持ちになり、さらに熟慮黙考の末、「そうだなあ……、善人の存在は必ず悪人を生むから悪だ、などと考えている部分があるから、そういうところが善に対して完全に悪だと言われても反論の余地は無い。むしろ善人であると判断されて葛藤するよりは遥かに心安らぐ結果であるとも言える」と落ち着いた。

話が逸れましたね。
私は家賃を払いに行っていたわけですけれども、ついでに「どうも暫く前からお風呂のガス給湯湯沸かし器の調子が悪くて点火したり、しなかったりで、今日も先程から点かないのです」と申告してみましたら、「なんでさっさと言わんのじゃ!」と思いっきり叱られました。だって困ってるの私だけだし、何かのついででいいかなーとか……。

息「調子がいいとか悪いとか、ありませんからっ!」

なんだと!?あるもん!
調子がいいとか悪いとか古くなったカラクリにはあるもん!

勿論そんな反論はできません。すいませんすいませんと只管に謝罪して帰宅。うっかり投票をし忘れていた人間は、かくも弱い立場なのですよ。しかし私のン十年の人生を振り返って、物の調子がいいとか悪いとかは絶対にあります。私が蛇口をひねる際のスピードとか力の入れ具合の角度の問題とか、そういう調子の良し悪しなのかもしれませんけれども、昨日は駄目だったが今日はオッケーとか、とにかくそういう事は断固としてあるのです。

「私にはわかる。やつはまだ戦える!」ぷすぷす!←燃え損なってる憤り
「きっといつもの使用時間と違っていたから、湯沸かし器に心の準備ができていなかっただけよ!」

まだ十数回チャレンジして駄目だっただけです。「いつもの時間」になるのを二時間待ちます。非科学的だろうと、そういう事は現実にあるのです。
そして二時間後……。

<ガチッ!ボオオオーッ!>

ほらあ!ほら点いたじゃないの!?だから言ったじゃないのさ!

でももちろんそんな事は言いに行けません。
翌日には直してくれていたわけですが(直ったというか新品になっていた)、その際には、言いすぎたと反省したのかしれませんが、選挙に対しても柔らかくなっていました。私に次のチャンスをくれるらしいです。そしてリンゴを貰って帰りました。やっと最後の柿に辿りついたところだったのに!
生みの親から「柿を送ろうか?」と言われた際には「柿は好かんから、いらん。送るな」とずばり言えても、赤の他人にはよっぽどでなければ言えないのです。大切な人を大切にできない。どうでもいい人間に全力で気を使って使い果たす。それがO型クオリティらしい。


最近は、外科に行って指先に刺さったガラス片を取り除く為に針で指先を切られてピンセットでぐりぐりされたり、「ところで私の車は本当に大丈夫なんでしょうか?」とお店に突進して空中に車を浮かせてもらって「ここがね、こうなってるでしょ?ここにこう書いてあるのは、ここがこうなってるという意味で……」と逐一丁寧に説明してもらったりしてました。お金も払わせずに、なんて親切ぶりよ!
何だかわからないけれど、検死の集団とすれ違って道を通せんぼされ(人一人通れる程度の狭い道で、いきなり立ち止まって周囲を見回し始めた)、「どけ」と念じながら黙って待っていたら「あ、ごめんね」と言って通してくれました。「この方はオサツなのに謝るなんて!なんて人間のできた御方!素敵!」と惚れそうになりました。

思いますが、心が裏表なく全き悪なので、こんなに容易く感激するのだろうか?
悪だからリンゴを貰ったのだろうか?「そっちのお菓子をください」「あなたのはそっちでしょ!」「でもこっちにはフロランタンが無い。私はフロランタンが欲しい。私にフロランタンをください」「もう仕方が無いわね!持って行きなさいよ!」となったのも、私が悪だからなのか?
今日も悪は幸せに暮らしていました。
フロランタン大好き!


ところで、
最近のちょこざいなオタク生活は、境界線上の地平線を真面目に見ています。虎と兎は偶に見忘れましたが(たぶん私がアレを面白いと思ったのは、サ○レッドを面白いと思う感じに近かったと思うよ。でもサン○ッドの方が好きなんだよ)、これは本当に真面目に見ています。あまりの意味のわからなさに、熱心に見ていました。まずストーリーがわからない。第一話なんか特に酷かった。ただの登場人物紹介で、しかも顔と名前の紹介だけでニ十分終わってしまった感じです。科白の意味が八割方理解できないまま。世界観すらよくわからないまま終わり、あまりの理解不能加減に、つい次の回も見てしまいました。そして次の回も、話は殆どすすまないまま、よくわからないまま終わり(登場人物の多さに特徴どころか名前すらよくわからないまま終わり)、ハテナを飛ばし過ぎて、つい次の回も見ました。次こそは、一体どんな話なのかが漠然とでもわかるかと!科白の意味と頻出単語と行動の意味が六割以上わからないまま(だいぶ理解が進んできた。最初九割以上意味不明だった)、結局、かかさず見ています。

人様「原作読んだらいいじゃない」

いや、このわからないっぷりがいい感じがしてきた。むしろ話がどう進行してるのか、登場人物が片っぱしから何を言っているのかが全然わからなかったからこそ、ほんのちょっとでも意味がわかった瞬間に喜びがある。喋る事も動く事も表情を表す事すら全くできない相手から、まばたきや視線で僅かな意思疎通ができた時の「うん、うん、そうか!わかった!今おまえが頷いたのわかったぞ!」的喜びに似てるというか……。それがだんだん時間と経験?を重ねて、「あ……、もしかして今、笑ってるんだ」とわかってきた時の喜びというか。ひたすら読み取りと理解の努力を一方的に要求される、諦めたらそこで試合終了だ、この感じに意欲がわくっていうか。

それにつけても評価が低く、他に見ているという人間を見つけた事が無いのですが、原作のファンは見ているのだろうか?というか、私の狭い活動範囲では原作のファンすら見かけた事が無かった。第一話なんか本当に酷かったけど。本当にストーリーが無くてびっくりした。右から左に走ったら一話が終わって。びっくりで。まじでこれでいいのか?と、びっくりで。まあ大抵の第一話って、何か叫んでいるうちに終わったとか、そういうものかもしれないけれど。でも普通は物語が始まりそうな感じがするよ。しかし全然しなかった。三、四話まで、ある一日の朝から夜までを延々とやっていて、物語が始まる感じが全然しなかったよ。
九話まで見たけど、ここまでを普通の物語なら、一話分か二話分でやる気がするよ。九話まで来て、まだ話が始まって時間の経過は二日目じゃないのか?それなのに登場人物が目指せ半年後の話をしている。その事に驚愕する。おおい、これ何話で終わる話なの?推測するに、原作一巻の上下巻分に1クール使う気なのであろう。原作が終わって無いっぽいのだが、この勢いなら全部作るつもりでも、きっと追いつかないだろう。

でもここまできたら、気の向く限り、私は原作を読まないで見続ける。DVDの特典小説の試し読みがあって、文章の流れが肌に合わなさそう、慣れるまで結構つらそうと判断したのもあるが、「何言ってるのかが全然わからないわ!素敵!」な母の血が、自分にも脈々と流れている事を実感した。


やぐちまさき |MAIL