非日記
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2009年11月24日(火) 三年ぐらい実家帰ってない。

などと口走りましたら異口同音に「帰れよ!」と言われ、「世間体を鑑みてしょがねえからちょびっとぐらい帰るか」と思って連休の根回しを始めた矢先、今年の正月は親がこっちに来ると言いだした。年始直後にこっちの方角に用事ができたらしい。

つうか私、今この非日記を巻き戻って確認してみたところ2008年の正月に戻ってるじゃないか!なんて親孝行な私!充分じゃないの!?

しかしながら、よい子は積極的に親孝行しましょう。
情けは人のためならずという言葉は、「情けをかけるのは相手のためにならないので、情けをかけないようにしよう!」という意味ではなく、「情けをかけるのは巡り巡って自分のためになる事なので、相手のためとは思わずに思い切って情けをかけていきましょう!」という意味なのです。世の中には自分は親孝行しなかったくせに、我が子に放逐されると恩知らず!とガンガン文句を言う人もいますが、傍目に見て因果応報なので哀れまれるどころか鬱陶しがられることになるのです。他人に要求する事と自分に課してる義務が甚だしくずれて平気の平左でいると、いずれ背後からブッスリですよ。熟年離婚です。「何で今更!」と騒いでも手遅れです。今更で、取り返しは付かず、失ったものが多すぎるのだから、怒り騒ぐほどギャフンと言わせてやったと大喜びです。
というか、情けをかけるのは巡り巡るスパンの長さには関わり無く、むしろ瞬間的な己の心のためじゃないかと個人的には思う。刹那的にフローしていく、生じた端から散逸し消失し二度と戻らない感情の存在に価値はあるのかという問いに対する一つの選択である。

感情の刹那性に対する価値の云々に関して言えば、昔読んだマンガで、絶対に心変わりすることがわかっている男に求愛されて(神様とか精霊みたいな類で本質的に須らくそういう性質)、必ず一時の事だとわかっていて受け入れられないと女が拒否する話があったのね。で、その時に相手の男の方が、心変わりが確定しているというのは事実その通りなんだけれども、では自分の今の気持ちには真が無いと言うのかと尋ねて結局女の方が折れるわけ。確かバッドボーイの両親の馴れ初め話だったと思う。
この流れは本当に感心した。
似たような感心の仕方で、ラーゼフォンの父母の話もある。覚醒したら人の心を失う事がわかっていて主人公の母親は人間の父親と一緒になるわけよ。で、覚醒して伴侶を惨殺する。「一体何故自分を産んだのか」と主人公に詰られて、「愛していたからよ」と物凄くアッサリ淡々と感情の全くこもってない声で答える。

そうなんだよね。異性愛の場合、そこに全く情愛の無い場合もあるが、瞬間的にではあっても情愛の存在し介在した証拠として子供を位置づける事が可能なわけよ。翻ってみて、例えば同性愛が不毛と言われる所以はここにあるとも思われる。証拠が無い。後に残らず、未来に残らない。後に繋がっていくものがおよそない。
私は自分で二次創作やおい話を書いていて、特に記憶喪失設定を書いていてシミジミ考えた。一緒に暮らしているわけでもなく、広報結婚などして周知徹底し、公にしているわけでもなく、いつ死んでもおかしくない状況となると、二人の関係を保証するものが感情及び記憶以外に全く無い。思い出を喪失した時点で思い出を思い出すための足がかりが全く無い。これは厳しい戦いになる。
でもそれで納得した部分もある。
書いてて、一体何故に程度はどうあれえろがそんなに必要、絶対に必要と思われるのか……と自分でも不思議に思っていたけれど、だからだわよ。残るものが無い以上、片っ端から消失していく瞬間を飽くことなくリカバリして繋げていく事が必要な気がするの。距離があるのだから共有できるものが非常に少なくなるのよ。快感の共有に接続の焦点を合わすしかない。会っている間は十センチ以上離れてはならない。便所に行くにも手を繋いで行くべし。
かわいいじゃないの。

あーなんかちょっといいかもしれない。手を繋いで便所に行く話。かわゆい。
しかし三十路の男が二人で手を繋いで便所に行かねばならない理由とは、一体いかなるものだろうか?

しかし自分ながら、親孝行と情けを同列で語るのはどうかと思われるよ。
根本的な揺るがぬ目標を述べるのならば、私は土になりたい。動植物が交配して己が子孫を残していく如くではなく、何も為さず何も遺さず何の役にも立たずとも、朽ちた肉体と過ぎた行いの腐れ分解されて腐葉土になるように、循環する世界の基盤となり媒体となる名も無き土になりたい。土より生じ、土に還る。

とか嘯いていたら(三十代後半の未婚のお姉さんに「矢口さんは婚活してます?」とか振られた)、
「でも矢口さんは奇跡を起こすようなきがする」
と職場のお姉さんに言われ、言葉面の華やかさに「えー?そうかなー」と一瞬喜びかけて我に帰った。つまり、私は奇跡を起こさないと結婚しないという意味か?普通もうちょっと遠まわしに言うものだろう。全く世の中は善意のセクハラが絶えない。


やぐちまさき |MAIL