非日記
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2008年05月18日(日) おんどれはあんどれに似てる。

ちょっと前に「ものすごく腹が立った状態で脳内で相手を指してる時の二人称は何になっているか」という質問をした時に、「おんどれ」だと答えられて、そりゃ無いだろうと笑ったのだが、以来おんどれの音感があんどれに似ていて気になって仕方ない。




超弩級馬鹿。



自分に絶望する。
食事を買い置きのカップ焼きそばで済ませてしまうかと不健康な事を考え、途中まで準備した後、お湯を沸かしてる間に「そーだ!ところてんがあったわ!」と思い出した愚かな私、その後に起こる惨劇を知るよしも無かった。

大体私は延々とところてんが好きでなかったのだが、その第一の理由はたぶん実家で殆ど食ったことがなかったからだった。というか、実家の食事に親から供された事は一度も無い。
食ったことが無かった私はところてんに淡い憧れを抱いていた。ところてんは見目が大そう美しい食べ物だからだ。きっと美味しいものに違いないと大いなる期待をかけていた。だってキラキラ光って綺麗じゃないの。天女の浴衣ヒモの如く。だから味も想像はできないがキラキラしてると信じてた。
そこで、少しばかり成長した私は夏祭りの屋台で買って食べて「…うまくない」と大そうショックを受けた。長年の期待を裏切られ、すんなり飲み込みがたい言葉では言い表せない複雑な思いを抱いた。
「もうところてんなんか嫌いだ!あんなもののどこが美味いんだ!」という怒りとヤツアタリと、「嘘でしょ!嘘だと言ってちょうだい!本当は美味しいんでしょ!?どうしてアタシにだけそんな嘘をつくの!」という諦めきれない思いだ。

先日仕事で物品の運び込みの手伝いを依頼され、二人でごとごと移動して表口に回ったものの、一緒に運んでいた人がドアを見て一言「あ、こっちからはだめだったんだ。戻らなきゃ」思ってたより入り口が狭かったらしい。私は「いや、通れるかもしれませんよ」と言ってみた。ドアを開けて中を見た人が一言「やっぱダメだよ」ドアを開けたら脇に荷物が積んであって通路をさらに少し狭めていたのだ。
そこで私は「ぎりぎり行けるかもしれません。そんな気がします」
人は「裏口まで戻れば入れるよ」
私は「ちょっと通してみましょうか?」
人は「いや、無理しなくても戻れば」
私は「ちょっと試すだけですから」
通った。
私「通れました…(満足)」
人「矢口さんはしつこい人間だってわかった」
私「ええ?そんなんじゃないですよ」
人「いや、しつこいよ。しつこいというか、諦めが悪いというか、諦めないというか」
私「いや、私はしつこいというより、力尽くで無理矢理押し通そうとして木っ端微塵に破壊するタイプなんです。荷物に傷が付かなくて良かったです」

そんなんじゃないんですよ。
私はただ、後戻りするのが嫌なだけでした。どれだけの長い道のりでも、どれほど遠回りするのも構わない。ただ後戻りするのは好かないだけです。三歩進んで二歩下がるぐらいなら、ミクロン単位でいいから前進したい、あまりの遅さに永遠にたどり着けなかろうとそれは構わない。自分から二歩も下がるぐらいなら、鍔迫り合いで力負けして押されて三メートルほどずりずり下がっても構わない。三歩進んで二歩下がるのが嫌なばかりに愚図愚図言って最初の一歩すら滅多な事では踏み出さないが、一度踏み出したからには引く足は持ちあわせておりません。どうしても戻りたくば「前進」という方向を堅持したまま円を描いて戻る方法しか頭にはありません。たとえそこがどう見ても元いた場所であろうと、「前進」した末にたどり着いた場所でなければなりません。私の辞書に「後退」などという言葉はありません。後退など、前進してもできるのだ!

たとえ道が行き止まりで「…仕方ないから戻ろうか」になっても、それに同意する私の脳内では「この道は行き止まりである事がわかったのだ。この道ではダメだと判明した事は得がたく尊い貴重な成果である。もしこの道を選ばなかったならば、この道が行き止まりである事はわからなかったのだ。この道を選んでよかった。真の道を辿るために一歩前進できた。この調子で行くぞ」と、常に無理矢理「前進」させられているのです。
同胞が「あーあ」なんて言ったら、速攻イエローカードです。何をがっかりしている。勝手にがっかりするな。我々は後退したのでも敗北したのでもない。着実に一歩前進したのだ。ますますやる気になってしかるべきだ。

私の諦めの悪さというのは、主にそういう方向に発揮されます。
それが場面や物事によってはしつこく執念深く見えたり、あっさり淡白に見えるのかもしれないな。

話は戻って
そこで私は、勿論「ところてんは美味しいに違いない!きっとそう!」という憧れを「本当は違ったんだわ。少なくとも、私にとっては違うのよ」という風に現実に則して「がっかり」加減に始末する事ができなかった。「まずい」「美味くない」「こんなもののどこが美味いんだ」「何故人はこれを食べるのだろう」と思いながら、時折私は思い出したようにわざわざところてんを自腹で購入して食べ続けた。
そして最近ついに「…ちょっと美味いような気がしてきた」にまでたどり着いたところだった。この調子で前進して、じきに美味いと思うようになりますとも。
以下のように進行する予定です。

「ところてんは美味しいに違いないわ!」→食べる「まずい」→食べる「まずい」→食べる「まずい」→……(中略)……→食べる「まずい」→「ところてんは美味くない」→「ところてんはまずい」→「ところてんが美味いなんてのは幻想だ」→「ところてんは絶対に美味くない」→「ところてんは凄くまずい」→食べる「思っていたほどまずくない」→食べる「思っていたより美味い」→食べる「思っていたよりはずっと美味い」→「やっぱりところてんは美味しかったんだわ!」

途中でぶった切らず、この最初と最後に重点を置いて見れば、私の期待は裏切られた事にならないのだ。この最後まで括ってワンセットだ。物語の途中で終らせるなんて邪道な事はできない。

そこで私はところてんを買って冷蔵庫に持っていたのだ。

私はカップ焼きそばを準備し、湯を沸かしながら、「焼きそばはやめて、ところてんで食事を済ませようかな。でもおなかすくよね」、迷いつつ真横でところてんを準備した。
…タレつきだった(恐ろしい罠!)。
私はところてんをザルから茶碗に盛り付け、手を洗い、焼きそばのタレをかけた。…なにこれ?すっごく香ばしい香りがする!

自分がやった事の意味を電撃的に悟った私の愕然とした気持ち、わかってもらえますか?もンのすごく動揺しました。こんなに動揺したのは何年ぶりか。どうするの?!どうするの?!「もうカップ焼きそばのタレは無いわよ!」動揺のあまり、私はところてんを無意識にザルに戻し、水道で洗い始めました。「ああ!ちょっと何するの!焼きそばのタレが流れていっちゃうじゃないの!焼きそばのタレはそれしかないのよ!?」でもしかし、焼きそばのタレが十分に絡んだところてんを焼きそばと混ぜたからといって、それはもう焼きそばでもところてんでもないのです。ひとたびところてんと豊かに絡まりあった焼きそばのタレを分離する事は非常に困難と思われるのだ。いいですか、ところてんのタレは無傷だ。つまりところてんは無傷だ。まずはところてんを救出する。そして冷静さを取り戻し、焼きそばの現状と向き合うのよ。ところてんなんか助けたってナンになるって言うの!?アタシは焼きそばに比べたらところてんなんか…馬鹿野郎!目の前にいて助けられることがわかっているなら何も考えずに助けるのが人の道らしいのよ!
問題は焼きそばだ。

あー、カップ焼きそば…。アタシ、大事にしてたのよ。ところてんなんかよりずっと大切に思ってた。本当よ。カップメンが多少高騰したって、アタシは構わなかった。だって私にとっては元からそれだけの価値はあったもの。250円ぐらいまでなら耐えられる。いっそ百円以下で投げ売られてるのを見ると、「彼を安く扱うな!彼はそんな扱いを受けて良い存在じゃないわよ!もっと価値のある存在よ!…しかしだからこそ容易く手に入る」と胸狂おしい気持ちになったものよ。実際、高いカップメンもあるが、それはちょっと何かが違う。私はね、普通のラーメン的味わいをカップメン類には求めていないのよ。カップメン的な味わいを求めてるのよ。それは袋ラーメンに対して袋ラーメン的味を求めるのと同じだ。
メタボがどうとか健康な食生活がどうとか食育がどうとか言いながら、カップメンの一部が安売り時に100円以下で売られている社会の現状はいかがなものかと内心思っていた。そりゃ確かにカップメンの値上がりは悲しいわ。でも私にとってカップメンはただの手抜きなどではない。嗜好だった。嗜好である以上は煙草が値上がりしたって看過したしたように、カップメンが値上がりしたって別に何を思う事も無い。好きなものは色々我慢して何かを削って手に入れるものなのよ。彼にはそれだけの価値があるわ。ところてんなんかと違う。カップメンはアタシを裏切らない。
なのに、こんな事になるなんて…。私の所為で、ところてんなんかのために。

私は焼きそばを救いたい。元の姿には戻れなくても、生きて、そして。
私はとりあえずところてんを正常な姿に戻し、ところてんを食べながら(ところてんに罪は無い。それは事故だった。犯人は私)、焼きそばにお湯をかけました。その胸を締め付ける存在を一刻も早く消し去りたい衝動に耐えられなかったのです。たとえば腹の中に。
これはもうただの焼きそば麺だと思ったらどうかしら?不幸中の幸いにして、麺としては無傷だ。お湯で戻して塩コショウかソースかなんかで炒めるのよ。でもアタシ、カップ焼きそばが食べたかったのよ!その期待はどうなるの?なんかもうものすごく情けない。要はソースの代用があればいいんだ。でもカップメンのタレとかソースはただのソレとは違うんだもの!大体あんた忘れたの?カップラーメンを洗って食べた時のマズさを!カップメンはカップメンとして生きる事を余儀なくされたプロフェッショナル、それ以外には生きる事ができない存在なのよ。カップメンを美味く感じさせるのはタレの力なのよ!あの激烈不味いカップラーメンのメンがそんじょそこらのタレでどうにかなるもんですか!じゃあうちで一番良いタレを出そう!

お○ふくソース。

おた○くソースで食べました。微妙に切ない気持ちのまま。でも食べれない事は無かった。もう少し冷静になれば、何かもっと美しく道を切り開けたかもしれないんだけど、なんかこう凄くショックでね。だってところてんは辛うじて無傷で済んだのに、カップ焼きそばの失ったものは大きかったのよ。ところてんの味どころではなかった。


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