非日記
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初めて知った時には、一体そんな事があるわけかと驚いたんだが、プロの作家さん宛てでも「アンタの本を読んだが生理的に私の嫌いな話だった。こんな話を本にするな」というファンレター?(文句?)が来るらしいね。本になったのは作家のせいじゃないだろう、それは編集者か出版社に言う事なのでは?という気持ちとは別に、感想というものを述べるとすれば、それは好き嫌いとは別だろうと思っていたのだ。そらまとめれば、好きか嫌いかに大別できるものもあるだろうけど、そうとばかりも言えない、そう簡単には言いがたいものの方が多いような気がする。
学生時代に、「短いから」という理由でカフカの変身を読書感想に選び、要約すると「とにかくものすごく嫌な気分になった」と書かざるをえなかった事もあるが、そうとしか言えなかったのに、いまだに時々内容を思い出してはブチブチ色々考えちゃう事もあるわけよ。好きか嫌いかで言ったら、大嫌いだと言いきれる。カフカの小説はまんべんなく皆大嫌いだ。カフカの研究をする文学者はイイ根性だと感心する。
生まれてこの方最高に嫌な気分になった小説をあげろと言われたら、まずこれなんだが、だからといって私はその時も「カフカめ」とは思わなかったわけだ。短いからという理由で選んだ自分を責めはしたが。 もし「読書感想文を本を読むところから初めて睡眠時間も合わせて後二十時間以内に書かねばならない」というところまで愚かにも追い詰められて無かったならば、嫌な感じを抱いた時点でさっさと読むのを止めただろう。映画でも小説でも漫画でもアニメでもそうだけど、好き好んで嫌な気分になりたがる習性は無い。
何かを読んで、うっかり微妙に嫌な気分になる事も無いでもないけど(しかしカフカほど嫌な気分最高潮に達した事は無い)、それは運よな。だって結局、実際に読んでみなければ好きか嫌いかわからんのだし。それは、緻密な計画を立てて事細かく予想を立て、万が一にも失敗しないよう最大限の注意を払っていようとも、現にやってみなければ上手く行くか、どえらい失敗をするかわからない…という現実と似たり寄ったりで、リスクを負うのが嫌なら、少しも失敗するのがいやならば初めからやるな、成功したいなんてハナから望むなって話だろう。 だから読んで嫌な気分になりたくないんだったら、初めから何一つ読むべきではないわけよ。椅子に縛り付けられて目の前で朗読されてるわけでもないんだから、「嫌な気分にさせられた」と文句を言うのはお門違いだと私はそう思うところがあるのだ。 アレだ。 クーリングオフが適用されるのはどういった場合か、みたいなものよ。確かテレビショッピングやインターネット通販やカタログ通販にはクーリングオフは適用されないのよ。確かそうだった気がする。なぜかと言うと、まず第一に「それを見ない」という選択肢があり、最終的に購入に至るまでに判断し、考える時間があり、自分の意思で自発的に購入を決定したとみなされるからだ。それは購入するまで居座って帰らないとか、どこぞに連れ込んで書類に記入するまで帰さないとかのキャッチセールスや訪問販売とは違うだろう、という理屈だった。
そういった感覚があって、自発的に本をとり、自発的に読んだわけだから。感想の中の一部としてではなく、作品を否定する意味合いで「私はそれが嫌いだ」とわざわざと製作者、この場合は作家に伝えるという心持ちがよくわからなかった。それで何を望んでいるのかがよくわからない。どうして欲しいんだろうと不思議に思うところがある。
そりゃね、友達とかその辺の人とか日記とかブログとかには言うだろうし書くだろうよ。私はこの辺も昔は意味とか必要性がよくわからんかったんだが、要するにコミュニケーションというやつだ。
プロの作家にすら「嫌なもの読ませやがって」という文句が来るぐらいなのだから、書き手と読み手がより近い同人サイトの入り口で、「見たら不愉快になる可能性があります」と当然の事を逐一律儀に警告するのも当然なのだろう気もする。 これは読み手を守るためというより、書き手を守るための一行という気がするよな。読み手側に注意を喚起するのならば、傾向やジャンルといった部分の説明だけで十分だろう。 「アンタは嫌いでもあたしは好きかもしれないだろ!」と思うと、不用意に作者に文句を言われて書き手がやる気を無くしたり、悪い事をしたと思って自発的に閉鎖されたりしたら私の損失はどうなる。ちなみに、件の文句を言われた作家さんは、だけどプロだから生活も掛かってるし、好意的なファンレターもあり(書籍になったという事は出版社側、もしくは編集者は少なくとも面白いと思ったのだろうし)、続きも書かれて文庫化までいったんだけど、でも同人サイトは素人ですからね。それで食べてるわけじゃないし、生活の中から自発的に時間を取ってやってるわけで、しこたま文句を言われ嫌な気分になりながらも耐えてやり続ける気概でいて欲しいとは望めない。
かといって私は、よく同人サイトで見られる注意文のここについて、つい先ごろまで真剣に考えた事は無かった。 好きだからさ迷っているわけで、好きだから覗くわけで、嫌な話はいやだなと思ったら直ぐ逃げるし。 それに私は、「こういう話は嫌い」とか「嫌な気持ちになる」というのが現に読んでみないと簡単に分類できないのよな。「死にネタはたまにしか見ない」とか「軽めのコメディアスなのが好き」とか「シリアスでも執念深くハッピーエンドだけ搾り取る」とかいった漠然とした嗜好はあるが、だからといって、「そうだったら絶対に大丈夫」ではないのよ、私。どこがどうとは言い切れない、ものすごく細かいところにチェックが入る。大意やキャラ設定や話の流れは大体同じような感じに見えるのに、こっちは嫌だがこっちはオッケーとかがあるのよ。
そういう具合に、私の嗜好は事細かく、簡単な説明文やコメントでは好きか嫌いか、読んで嫌な気分になるかならないか全くわからないねん。オバサンのせいか、こう事細かいので、大体コメディとか軽い話ってのを好んで読むんだけど、コミカルなら絶対オッケーかというとそうとも言いがたい。つまり読むまでわからんので、「見たら嫌な気持ちになるかもしれません」という注意文一行を真面目に気にした事も、深く考えた事もあまりなかったわけ。 何が言いたいかというと、ここに戻ってきたかった。
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