非日記
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2007年04月26日(木) 揺れる揺れる。

家が揺れた。久しぶりに。
来る来ると言っては中々来ない「噂の大地震」が来る覚悟をして久しいので(十年近い)、ちょっと揺れると「ついに来たか!?」と直ぐ思う。少し前に結構揺れた時には眠ってたので夢うつつに「来たか〜?」とは思い、自分経験上では結構揺れてる間中「うーん…ヤバイ、ヤバイなあ」と頭に浮かぶ言葉面だけで真剣になりながらも、「これ本当に揺れてるよねえ?アタシが一人で揺れてるんじゃないよねえ?アタシが一人で揺れてるのかなあ?」とのんびり気分が抜けず、ついそのままダラダラ寝てたのだ。こんな調子では駄目だと反省した。

聞くところによると、大地震の際、被害の大きいところ、すなわち爆心地…じゃなくて震源地付近では縦揺れも横揺れもへったくれもなく一気に「ドン!ドガガガガ〜…」と来るらしいのだ。「今確かに揺れているようだ」などという悠長な事では駄目だ。
でも真面目に言って、そういう大揺れの時には立つ事もままならず、「まずコンロの火を止め…」等という小学生の時に習った地震初心者の心得を達成する事すら困難を極めるという話だ。以前考えてみたが、ガスの元栓はどうでもよいっぽい。自分家はヘナチョコなガス管が外に張り出し、家の壁面を取り巻いているので、これは大地震の際、必ずへし折れるだろう。危険を冒して元栓を締めても虚しい。もしコンロの火を止めるのに五秒以上かかったら、それで「ドン!」だろう。爆発で死なないとして、この家は土と木でできているので、あっという間によく燃えるに違いない。

最近の防災はよくの地震が発生した後、ライフラインの確保に関してを言うが、実際に地震で亡くなる人の八割から九割は、地震発生から最初の十数分でだと聞く。この十数分を生き延びられるのなら、生存確率は格段に飛躍するのだそうだ。問題は生死を分かつ最初の十分だ。
大震災で亡くなった人の多くは老人と若者だったという。何故かというと、老人は長く住んだ古い家に、そして若者は貧乏なので耐震強度の貧弱な建物に住んでおり、これが人間の上に全壊して降り注いだ…という事になったらしい。考えるだに我が家を顧みて「それはまさにこのような家であったろう」と思われる。…ただな、うちの方がもっとボロイんじゃないかと思われる。台風で軋むほどのこの家なら、天井が落ちても壁が崩れてきても角度によらねば圧死するのは不可能なのではないか。壁なんか律儀に「割れて降り注ぐ」ことはできないだろう。きっと車のフロントガラスのように粉々になる。動けない隙にガス管からもれたガスに火がついて焼け死ぬとしか思えない。…焼け死ぬ?それちょっと嫌だよな。

生まれ方と死に方には贅沢を言うもんじゃないと自分を戒めるんだが、夢としては憧れの死に方ってのがあるじゃないか。逆に「これだけは嫌だ」もある。

最初の十行あたりに戻るんだが、毎度のんびり構えては「これではマズイ」と思っていたわけだ。地震が起きたらもっと真剣にならねばと!真剣っていうか、必死というか、こー、恐怖に打ち震えてパニックを起こすが如くマジにならないと、「あ〜れ〜?地震だあ〜」とのんびり構えていて死んだのでは死ぬに死に切れない。「ヤル気あんのかウラァ」って感じだ。ヤル気はあったのだが致し方無かったのだという事を世ならずとも我には知らしめておかねばと思ってたわけよ。

で、震度4で今日は必死になれたかというと、微妙だ。逃げるべきか逃げざるべきかとオロオロはしてみた。二秒ほど考えて、屋根が落ちたときの為に外に出てみた。考えてみたんだけど、地震で家が倒壊する前に、ドアやドアの枠がへし折れてドアが開かなくなるんじゃないかと。それならドアが開くうちに外に出なくてはと思うだろ。
そう考える端から、「ドアが開かないなら壁を蹴破ればいいじゃないの」などと思ってしまって駄目なんだ。うん、この家、たぶん凄く簡単に壁を壊せるんだ。しかしそういう甘い考えでは駄目だと思って外に出てみた。

確か女優さんで、関東大震災に備えて就寝時には地震に備えて必ず枕元に靴を置いているという人がいたな。地震になるとガラスなどで足の踏み場も無くなり怪我をしやすくなる。靴のある玄関までが遠いので(いけるかどうかもわからん)正しい行いらしい。しかし私は寝床と玄関が一メートル離れていないので常に枕元に靴がある状態に近い、これ以上近づけてもあまり有意義でないと判じてる。
「そうそう。運動靴がいいのよね」と思いながらも、まあいいだろとついサンダルにする。この辺に「十中八九大した地震でない(だろう)。だって歩けるし」という正しい状況判断と言うべきか、めっちゃ生ぬるい気持ちがみられるんだよ。

外に出てみる。
いつも後で自分ながら妙に思うんだけど、何故地震なのについ空を見上げてしまうのだろうか。何故地面を見ずに空を見る。空を見れば鏡に映るように地面が揺れてるのが見えるとでも思ってるんだろうか。

外に出て空を見あげてみたが、直ぐに揺れは収まった。手持ち無沙汰。「どうしよう?」と周囲を見回したら、隣近所のお嬢さんも寝ぼけ眼でぼさぼさの頭に手に櫛を持って外に出て来ていた。自分もなんとなく笑っているが、向こうもなんとなく顔が笑っている。
「えーと、今、揺れましたよね?」
「もう収まった…みたい、ですよね」
「アタシ、ブラもつけてないのにどうしようかと思いましたよ」
「私も」
そして別れの挨拶もなく互いにそのまま自分家に戻った。

そういえばこの間、洗濯機をかけて直ぐ戻るからとそのまま外出してしまったら留守にしてる間に終っていたらしく、帰ってきたら他人が洗濯してた事に気づかなかった隣人がその上から知らずに自分の洗濯物を放り込んで新たに洗濯を始めてしまっていたのだ(洗濯機は共有)。
しようがないので「パンツを返してくれ」と言いに行った。

こういうレ・ミゼラブル(邦題「ああ無情」)な感じの「ああ日常」が好きだ。まるで作り物の物語の中に生きているみたいでウキウキする。面白い。

記録的大水害には生まれて何度かあってるが、大地震にはあった事が無い。それでどうも真剣さが足りないようだ。
偶にちょっと大きく揺れると暫くドキドキし、これで大地震などにあった日にはたとえ生きていても安らかな心地に戻れるのはいつの日になる事かと思う。


やぐちまさき |MAIL