非日記
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| 2006年12月27日(水) |
年末が終ろうとしています。 |
年末が終るって言い方は変だな。 もう27日じゃん!大掃除は!?
今年は実家帰りませんが、ホテルに行ってしまうので年明け数日は家にいないのでした。何故ホテルに行ってしまうのかというと、うちは狭いからでございます。数日休みとって帰ろうとしたら「たったそんだけしか休めんのか」等と言われてキレた私が、「じゃあテメェらが来いよ!」と言ってしまったからでございます。
フ、元日はホテルから初日の出前に出勤だよ…。 初日の出がまぶしいわね、きっと。
なんでそこまでして親と過ごさねばならんのかとふと思い、そう思ってみれば昔から時々思うんだが、私ってのは、「粗末に扱われている箱入り娘」よな。粗末だけど箱入りなのよ。なんたってダンボール入り(真実)。しかしダンボール箱だろうと箱入りには違いない。 箱入りなのに何故粗末に扱われたかというと(粗末というとアレだな。大雑把に?)、それこそ大切に育てねばならないひ弱なのが上にいたからだ。この歳にしてこう頻繁に親に連絡していると恥ずかしくて言えやしないのだが、私にも精神的に引け目があるのです。 「若くして息子を亡くされた可哀相なご両親の元に帰ってやらんのか。親不孝な」 とか 「若くして息子さんを亡くされた可哀相なご両親に孫をつくってやらんのか。親不孝な」 とか 人生の責務の如く言われ、どんな鬼子かと咎められるのを「他人の家の事に口を出してんじゃないよ」と厚顔で弾いて生きているのです。他人の家どころか親本人にも「可哀相な息子の為にこの地でこの土地の男を娶って子々孫々まで墓を守ってくれ」等と言われたのを、「お前達はかわいそうな息子だけでは満足できず、可哀相な娘もつくりたいんだな?」とあの手この手で脅迫して黙らせたのだった。
さてもう後数日で本年も終ろうとしています。 後一日日記が書けるかどうかといったところ。
そんな師走に風邪を引いたりしています。よく、気を張っていたことが終ると体調を崩したりするんで一応気をつけてはいたんだが、やっぱ駄目だったっぽい。この十日間というものは、なんだかんだ忘年会やら打ち上げやらで慌しく過ぎ。 ベテラン主婦に聞くところでは、大掃除というものは本来、末広がりでおめでたいから年末の八のつく日、すなわち二十八にするものなのだそうだ。そうはいっても、もう30日までガッツリ仕事です。そして31日には迎えに出なければならん。結局壁に穴があいたまま年を越してしまうようだ。
今年も大した事があったわけではなく、何の代わり映えも無くいつの間にか過ぎ去っていきました。 主に前半から中盤にかけては例の事でヨレヨレしており、ちょうどニュースでもしょっちゅう自殺が話題になっていたので、改めて色々物を考えたりもしました。ちなみに、仕事中に「今から死にます。今自殺の準備をしています」なメールも着たりしていましたが、まだ生きているようです。もうここは山のように言いたいことがあるんだけどね。まだ続行中だしな。
もう本当にメディアには「どうにもできないこともあります」と熱く言ってくれと拝み倒したい気持ちでした。「助けになってあげてください」なんてアンタ、アタシをどれだけ追い詰めれば気が済むんだという気持ちで胸がいっぱいでした。 ン年前人が包丁を持ち出した時分、「あなたはとても冷静だった」と言われたことがありますが、それは違います。誰にわからんくても自分にはわかります。その時私は冷静だったのではなく、冷淡だったのです。冷酷と言ってもいい。私は二十年前からずっと怒っているんですよ。それこそ指の先まで震え、感情がスコーンと抜け落ちるほど怒っているんです。怒りっぱなしです。 愛そうと努力し、許そうと努力し、理解しようと努力して関連書物を濫読し続けたわけで、けして気持ちがわかるわけでも共感したわけでもありませんとも。同情なんてもってのほかです。
大体私は二次創作でも一次創作でも死ネタで生き返るのが苦手なんだが(「実は死んでなかった」は大好き)、次に苦手なのが「精神的に病を患っているヒロイン及びヒーローが物語の中で回復する」パターンです。もう一つ苦手なパターンに苛められっ子が皆に愛されるってのもあるけどね。「そんな短期間で簡単に完治するか!」とか、「こんな可愛らしいもんじゃねえ!」とどうにも飲み込みがたいものがあるからです。飲み込みがたくとも、希望はあるし、「だったらいいな」な感じで別に嫌じゃないんだが(人の書くことだからアアだこうだ文句を言う事じゃないだろう)、「こんなの知らない。他所の世界のコトだ」とつい顔を背けてしまう。なんか読んだ後にすっきりしないのだった。 元からそうだったのが、ますますその傾向が強まる感じです。 フフフ、ハハハ。
「あなた本当にアタリが良いわね」と言われるが、本当に何故だろう。ここは凄く反省したい。私の何かがいけないんだよ。 同僚に言わせれば、「優しいから」らしいが、それは違います。優しい人間なら心配するんじゃないの。ヤバイメールが入ってて「とりあえず見なかった事にするか。死んでたら『気づきませんでした』と言おう」にはならんだろう。強いて言えば「弱いから」だろうと思います。「もし今こう言ったらどうなる」とか先先考えてしまう。だから人の弱さに漬け込んで卑劣なと余計腹が立つんだ。 「あんまり考えずに適当に返信すればいいですよ。死ぬなら勝手に死なせればいいんですよ」と人が言うので、「じゃあ『まだ生きていたんですか』と返信しますか」と尋ねると、「それはヤバイ!それは止めろ!」と答える。 ♪優しいのは〜あなた〜あなたーですー♪ 私だってちょっとは心配してます。主に自分の心配だが。 「まだ生きていたんですか(=良かった)」 だ。 全部計算して結果と相手に与える効果を予測しながらしゃべらないかんのがシンドイねん。あるがままに生きて生きたい。いや、ある意味あるがままなんだけど(顔で笑って心は般若)。涅槃は遠い。もう通信教育で僧侶の資格を取ろうかと新聞広告をじっと見つめて真剣に考えた、今日この頃です。
そして後半は主に試験関連でバタバタしていて、何してたか思い出せません。いえー。
あ、そういえば今年の自分的ビッグニュース。見合い話が来た(笑) 思わずバカウケして笑って即座に断ってしまったが、職業も手堅く(その年で既に自分の病院を持っていた。つまりサラブレッド)年収も素晴らしい相手だったので、また私は人生の過ちをバシッと踏み出したのではないかと感じる。いまだに、小学校高学年時を思い出し「あの時、結婚してくださいに『いいよ』と言ってさえれいれば…!生涯あのときの球根を断ったのを悔いるかもしれん。あれが最初で最後の血痕のチャンスだったのかも!い、いいえ!だって絶対あの人はヤバイ人だったんだもん!」と思っていたが、生涯悔いるかもしれん第二段ですよ。 だってさー、なんか昔懐かし三高(学歴と収入と背が高い)らしいし、そんなサラブレッドとの見合い話が、スッチーでもナースでもホテルマンでもない年収が二百万行かない自分に来るなんて何かの罠としか思えんだろう。聞いた瞬間、一体どんな汚点のある男なのかと勘ぐった。 いや、人の事を悪く考えるべきではないな。彼にとっての罠だったのかも。私ったら見知らぬ人の人生の恩人じゃないの。 今年もいい事をした!(爽)
そんな事があって、何故そんな話がコッチへ来るのか、不思議な事もあるものだと思っていたが、よくよく考えてみたら「私ってば実は箱入り娘なんじゃん!?嫁き遅れまくりだけど!私自身を除いて親の肩書きが他所の人からどう見えるかって事を真面目に考えてみたらさ、ひょっとしてもしかしてお嬢様!」です。 驚きー 落ちぶれたお嬢様って感じ?じゃあ実家帰れよって感じだ。いやだ、落ちぶれても良い。たくましく生きていきたい。 いや元々衣服は近所のお下がりを着て、割れた茶碗で遊び、兄にいたっては幼稚園で栄養失調で倒れ、箱はダンボールだったのだから、今更落ちぶれたわけではないんだけど。 「私がどんな子供だったか、もう誰にもわからないだろう」という自分の中では落ちぶれたどころか成り上がった気分でいるのが間違いなのかも。
しかし気分的に、「この世に私は一人。私の前に道は無く、私の後ろにも道は無い」って感じでいたので全然気づかなかった。親に対する尊敬度が足りんのかもしれん。 尊敬はしてますとも。「私を育てるなんて凄い!私なら途中で殺してる」と尊敬しているんだ。 ただ、職業とか収入とかはねえ、「職業に貴賎無し」がポリシーなんですよ。それに私、サラリーマンを尊敬してて、自営業に憧れ、第一次産業を尊敬してるねん(自分がやりたいのではなく、そういう家に)。
ただ職業に貴賎なしとは言っても、子供の頃に、学校の子等やテレビなんかが、まあ子供は親が色々言うのを聞いてたんだろうけれど、「公務員は税金泥棒」と蔑んでいたので、公務員は恥ずかしい仕事だと心に食い込んでる。 理性では公務員がいなかったらどうすんのよと思うが、しかし心に刻み込まれているねん。同和問題のように、公務員は蔑まれる職業で人には言わん方がいい汚れ仕事という感じが心の底に残ってる。 子供心に、いつも微妙に悔しかった。「公務員は云々」と文句を言うけれど、誰も「じゃあ自分が公務員になってキチンとした立派な仕事をする」とは言わないのよ。他所の畑だから無責任に好き勝手に言えるといった感じで。 それで自営業になると税金逃れをしてたりするねん。儲けてるわけではないけれど、普通に控除があるからってしてるのよ。だけどそういう風にズルをする理由がまた「ちゃんと税金を払ったってどうせ公務員は云々。皆やってることだ」やねん。 それが悔しくてねえ(苦笑)。もー。 大体公務員は税金天引きだからなあ。
だから心の底に友達と自分は違うって感じがどこかある。自分は賎民やねん。税金で飯を食って胸をはっては生きて行けないの。人はサラリーマンとか農家の娘として生まれ、光の中を鮮やかに駆けていくんだけど、私どもは汚れた金でおまんまを貪り食って生きてきた日陰の民やねん。言ってみれば、「人の生き血を啜り…」といった具合。 「また公務員がさー」 と人が言うと、ドキッ! 「アタシは公務員じゃない。アタシは公務員なんかじゃないわ!」と自分に言い聞かせるんだが、この血も肉も骨も税金でできている事は事実の薄汚れた人間やねんな。
しかし私がどれほど恥ずかしく思っても、親戚の半数は公務員だからな。それでこう友達と家族の間で揺れ動くのだ。 そしたらこの間、職場の奥様が何気なく「公務員は大変だよね。入ったときにはキラキラしていた目が死んだようになって疲れきっていくのがわかる。感謝もされず、何かしてやりたくてもどうにもできないことばかりで、大変な仕事だ」とおっしゃったので、思わず恋をしそうになりました。 そんな事言ってくれたの、あなたが初めて…! 私だって自分の親や親戚の仕事をちゃんとした仕事だと思って生きていきたかったのよ。あたしは臆病者です。できれば公務員になりたくなかった。「どうしてもっとちゃんとできないの。目の前にいる(窓口に来る)困っている人を助けられないの」と責め咎められるのが嫌で。そして公務員にならずに暮らしてきて、でも視点や観点が、ホントのただの庶民にもなれずにいる。
あ、いかん。熱があがってきた気がする。
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