非日記
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2004年08月29日(日) 人間らしさについて。

私はハリポ○タのシリウスは「犬なんだ」と思っていが、ひょっとすると、実は人間なのかもしれない(人間だっちゅうに)

すると、ジェームズがシリウスに「おまえは犬の方が良い」と言ったというのも、人間である時には「話にならず手におえんほど人間らしかった」って事になるのよ。


例えば、
暴れ柳事件は、言ってみれば、「死んでも良い」とスネイプを殺そうとしたのはシリウスなのに、それを助けようとしたのもシリウスなのよな。ジェームズはかんでおらず、そして実際に助けに行ったのがジェームズなので、目がくらまされるんだけど。シリウスが殺そうとし、ジェームズが助けたと一見見え、そして事実上はそうなんだが隠された真実は。

「守護と破壊を同時に司る人間らしさ」の発露として考えると
シリウスが一人で独断でやったのは、ジェームズに言ったらジェームズが反対する(かもしれない)事がわかっていたから。つまり、その時はマジで殺すつもりだった。危険要素は可能な限りすべて排除しておいた。
ところが、
一度は死んでも構わんとスネイプを行かせておきながら、やった直ぐに、信じ難いほどにすごい早さで後悔した。しかし後悔を認める事ができない。人間らしく強情で意地っ張りな為、いまさら助けに行くなど言語道断。
「ああ畜生!誰か助けてやれよ!はやくしないと、スネちゃまが死んじゃうじゃないか!」と、焦る「守ってあげたい」心。必ず成功させる為誰にも気づかれないようにと、完璧を期した弊害が出現。作戦が完璧であったほどに、ムラムラと助けたくなる。
ここにやつがいたら!そう!これに知られたら邪魔するかもしれんからこそ、隠しておいて相談しなかった相手がいる!怖いとかめんどうとかどうでも良いとか迷ったり躊躇ったりせず、勇敢に助けに行けそうなやつだ!
ナイス!
ジェームズがそこに!
そこではっと気がついた時には、迷うまもなく、突然翻って自分がやった事をジェームズに告白していた。
同じ人間だのに、殺そうとしながら助けようとしているのだ。

だから、自分の目的達成を邪魔されておきながら、ジェームズに怒らない。
ジェームズが助けにいかなかった場合は、ジェームズを許し難かった可能性はないでもない。ジェームズはスネイプを助けながら、シリウスの社会的立場というより気持ちを助けたわけよね。
ギリギリで一貫性を保つ為、シリウスにはスネイプを助ける事はできないんだもの。だって死んじまえと思うぐらい憎んでるんだもの。大嫌いなんだもの。絶対に許せない、絶対に!それだのに、殺してやりたいのに死んで欲しくないなんてオッカシイじゃないの!絶対に許せないのだぞ?絶対に、だ!「だから」やったのだ。
それだのに、助けるなんてそのような事はできん!

「自分は殺そうとし、ジェームズは助けた」で、彼の心的には「死んでも構わない。殺してやる」という気持ちと、「誰かが助けてやらんのか」という気持ちがちゃんとあり、自分が前者をとった手前、残りがとれず、ジェームズに後者をとらせた。セブルスへの感情の表現はトータルでは、これ以上なく正直に、パーフェクトに表現されていたという事になるの。
この事件において言えば、ジェームズが人間の実体であったとすれば、シリウスはスネイプに対するまさに心の影の部分、影だけを表現してみせている。
何故そうなるかと言うと、シリウスには表だっては(心の底から)できないねんな。あっちにヒラリ、こっちにヒラリなコウモリみたいな恥知らずなマネは。
一貫しているのよ。
スネイプが嫌いったら嫌い。最初から最後まで嫌い。永遠に嫌い。何があろうと好きになる事はなく、千年の果てにも許すことはない。
しかし内実、心はそうでもない。実はよくフラフラしている。フラフラのフラの一回一回が激しいが為に、一回コレだと思った事を断固無かった事にできない。スネイプを助けたいと思ったとして、では「殺してやりたい。死んでもかまわん。死んじまえ。やつは間違っている」と思ったアレは嘘だったのか?と思うと、「いいや!嘘ではない(嘘にはできん)!あれは真の心であった!絶対に!俺は嘘などついていない!」となり、「ではやはり助けたくなどないんだな?」に「そうだ!(吐き捨てる/内心は号泣)」になるのだ。

…憐れだろ?不憫よな。
ここで、「やっぱやーめた!ガタガタうっさいわね、委員長!だって気が変わっちゃったんだもーん。これ以上ガタガタ言うようなら今度は委員長、貴様が敵だ!」と、二重三重四重の裏切り者としてイイ加減にはやれないわけよ。だって殺意を抱いて実行に移した事を弁護できなくなるだろ。
「スネは死んでも構わないような事をやった。当然の報いだ」というここを守ったので、「だから自分はそれをしたのだ」と弁明できる。それだのに、助けにいったりなどしたら、「ケ!なんとなくだよ。なんか文句あっか」と最初から最後までがメチャクチャになるだろ。
真実はどこに?守るべきものは何?憎んでいるのは誰?とか色々色々悩むじゃろ。
♪青春時代というものはー後からーしみじみー思うものー♪

そうやって危険なフラフラを意地と根性のみで食い止めている。理屈というものは、一つでも破綻したら全てが瓦解していくものね。血反吐を吐こうが、柔らかく温かい血の通ったハート(心)が論理の刃によってズタズタになっていこうが、是が非にも意地でも命をかけようが、選んだ真を守り抜くのだ!と、なっている。
このへんが犬やねんな。
「筋を通す」為に、犠牲にし続ける心はズタズタんのボロボロんになっていく。もはや気力と精神力のみで立っているという悲惨な有り様にも、アズカバンに行かずとも元からなりかねなかった。
しかしジェームズがいた。まるでうしおととらのカマイタチ兄弟のように、ズバっと切れた後を素早く中和していた。

それで「ジェームズが助けたかったんだったら仕方ない。あいつは優しいからしょうがない、我慢してやる。ジェームズに感謝しろよ。ジェームズは友達だから、俺はあいつの気持ちを汲んで、頑張って許してつかわすのだ。俺は絶対に許せないんだがな。俺は、許してはいない」と思いながら、断固認める事はできない本音では「何も言わなくても俺のやって欲しい事がわかって、黙ってやってくれるなんて、さすがだ!ありがとう!ジェームズ!恩に着るぜ!」となっている。

喩えるならば、ボケとツッコミの如く。ジェームズが完璧なツッコミをしてくれるなら、思う存分ボケられる。彼はボケたいのではなく、漫才をしたい。ボケだけ、ツッコミだけでは満足できない。そんなの漫才じゃない。漫才は完璧なボケと的確なツッコミが揃ってこそ完成する。よってツッコミが入るまで果敢にボケ続ける。

十二年もの間、帰らぬツッコミをひたすら待ち続けたように。
永遠にツッコミを失ったのは自分の所為なのだ。
もはやツッコミを入れてくれるものはいない。どんなに辛くとも、一人でボケ続けるしかないのだ。
そんな可哀想な犬に天の助け、ハリセンが。

ハリセン:新聞にネズミがッ!!!

そして餓えていたツッコミを得て、不可能を可能にするほどの世紀のボケをかました。「一体どんな風にボケたのか?」と問われても、マトモな神経になってみると思い出せないほどのボケだった。
ルーピン先生との会話はこうだ。
ル「ツッコミにいかなかった私を許してくれるか」
シ「なら、おまえにネタをふらなかった事を許してくれるか」

ああ、それはいっそマジモンの犬の方が手におえるかもしれない。確かに。


やぐちまさき |MAIL