非日記
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2004年07月12日(月) 一時間五十分喋る。

「楽しそうね」と言われ、楽しかったわよ。
しかし、一時間五十分、ずっとハリポッタを喋っていたわけではありません。
<トゥー・ブラザーズ>の虎の子が可愛いという話もしていましたし、<キング・アーサー>はどうかという話もしていました。


ハリポッタ感想の続き>>
ネタバレまくり。

某さんが一番好きなのは、ハグリッドとロンと双子の兄弟で、ルーピン先生は「ちょっと好きかも」なのだった。「原作でカップリングを強いて言えばシリルで、しかし見た夢はダンハリだった」のだった。

そうね、
私としては、原作でシリウスとリーマスの二人を強いてカップリングにすれば(強いてカップルにするなよ)リバなんだけど、映画はリシリだったね。「アナタ!」「おまえ!」って感じが。
原作よりもルーピン先生が確信を持っているように(館に)登場するので(原作では「ああでもまさか」などと色々言っていて動揺していたきがする)、ハーマイオニーが「二人は通じてたんだわ!」などと言えば、「密通!(=道義に反して密に肉体関係を持つ事)」とハレーションが生じる。

切り刻まれた(?)絵なんか、「あの爪痕は、シリウスの爪痕というより、ルーピンの爪痕じゃないんか?」と思ったのは私だけか(苦笑)えー、だってアレは人間の爪痕じゃないだすよ。刃物を持ってたのかしら。
偶に映画を見ていて私はよく思うんですが、ペインティングナイフを使ってでも絵を切るにはテクニックがいると思います。結構固いのよキャンバスは。

忍びの地図の製作者があの四人だってのは、…?シリウスの「内なる狂気はおまえだろう」で解かれという事だろうか。吹き替えでどうなってるのかよくわからないけれど、あこそダケでは無理だろうきがする。
シリウスが忍びの地図をつくった人間の一人だからホグワーツへの侵入路を網羅して知っており、容易に入って来ていたと言うのも、わからんだろうと思うんだけど。

原作を読んでいれば「これはあの伏線だわね」とわかるが、映画単体としてはイマイチ伏線が伏線としての機能を果たしてないところが多いきがして、なんか色々勘違いしそうだ。

スネイプ先生が「復讐は密の味〜♪」と御機嫌に入室し、どっしり構えているので、犬猿の仲というよりキャンキャン咆える犬を爪先であしらっているように見えます。
猫がネズミを追い回していたのも、原作では「ネズミがネズミでなかった」という伏線なのだが、やはり分かりにくいきが。
そのため「時計を使って大量の授業をこなして疲れて気が立っているハーマイオニーと事情を知らないロンとの関係が、さらに輪をかけて険悪になっていた」という事情が無いので、後に詳細がわかり全部に筋が通っていく推理小説のようなラストのサッパリスッキリ感に欠けるよう。

ハーマイオニーは確か猫を止めようとしているし、「賢いはずのクルックシャンクスがペットのネズミを食ったりはしない」という形で信じていたきがする。どうだったかな。

バスのところで犬を見掛けて、何故そんなにハリーが注目しているのかも、唐突なきがするのは気の所為だろうか。
「何か得体の知れないものに付け狙われている」感じをずっと持っているところだとか、犬がどうのと騒いだり、あやしい予言に信憑性を感じたり、そういうジワジワ来る心理背景があんまり出て無いきがする。

原作で、この三巻のとても面白いところは、恐怖や危難が「近づいている」という感じが出だしからずっとしていて、どんどん高まっていくのに、実際は、「新しく近づいて来ていて恐怖を感じさせていたものにはハリーに敵意や悪意はなく、恐怖を覚えるべき危険なものは一巻からずっと近くにあったものだった」というグルっと引っくり返る、「騙された」という感じにあるんだろうと思うんだけど。
まさか「一巻の時点で、『このネズミは邪悪だ』と注目していた人間はネズミ嫌い以外にはいないだろう」といういう。

そこらへんがちょっと勿体無いような。


原作では、「説明するべきだ」と言うルーピンを興奮しているシリウスが何度も急がせる下りがあり、ルーピン先生がその度に何度も宥め、時間が経っていく感覚があり、その間にハリーは感情的な整理をし、皆が納得するのだなと思うのだが、ここの展開が早くて、解説が短く、そんな簡単に納得できるのか迷う。
映画のルーピン字幕は「一分待て」だか「二分待て」だかだし。
一分二分で何をどうするつもりなのか、すごくミステリーで面白い(面白いんか)

パトローナントカを突然出せるのもミステリー。

最初のが簡単に出せるのもミステリー。
後二三回やって、そのうちで良かった気がするんだけど。そして鹿型がなんだったのか、映画だけ見ていたら意味不明と思う。いや、アレは原作でも私はよくわからないんだけど。

ハリーが形が出るようなパトロなんとかを出せるようになるのには、ただ「出せる事がわかっていた」だけじゃなくて、シリウスの「釈放されたらいっしょに暮らさないか」というお誘いに二つ返事でOKし、舞い上がって喜ぶ個所が明瞭にあるので、「家族といっしょに暮らす幸せ」等という漠然とした夢にリアリティが生まれ、「頑張ればそうなれる。自分が、自分とシリウスの二人を助けて、そしてそうするんだ。それができる」という未来に対する現実的な展望と希望と自信が出たからじゃないかと思ってたんだが、映画ではあんまりそんな感じしなかったよね。
ヘタレ爆発で、シリウスは確か最後まで言い切れなかったしさ(苦笑)
私は気が短いので、「だからなんだハッキリ言え!」と思う。

色々あるが、それは原作にも色々不思議な事があるので、気にせず。
微妙な人間関係をうまうま味わうのは原作の方が良いだろうと思うけど、原作で一通り話の流れがわかっていれば、映画は映画で「ちょっと別の物」として、色々と面白かったわよ、私は。

役者の実年齢がだいぶ大人になっているので、二人だけで出掛けていくハーマイオニーとロンはどう見ても子供がつるんで遊びに行くというより「デート」に行く感じで、それを淋しく見送るハリーは、「僕には彼女がいない」という侘しさを感じる。その「保護者による外出許可のサイン」が問題になっており、最後にシリウスが保護者として署名(許可?)してきて、ネズミの代りに梟をくれて、色んな事が「(一応)一件落着」というのがなかったのも淋しいかも。

う、だから、でもそんな細かい事を言ってても、しょうがないのよ。
原作と比べてしまえば細かいところは無論気になるが、でも単品として映画を見て細かいところが楽しい。

原作ルーピンにあまり匂わない、生徒の肩を叩いて「先生は、ナ」みたいな教師臭を嗅いでみる、とか。
原作ルーピンがチョコレートを持ち歩いているのが不可解で、「チョコレートを食べると(幸せな気分になれ)元気が出るので食べなさい」って「チョコレートを食べると『おまえは』幸せになれて元気になれるんだな?それで常備してるんだ」と思わされてしまうが、映画を見てると、「大人」が「子供(向け)」にお菓子を「お薬としてあげてる」感じがする、とか。

ただ、「三巻でこれだけ削られたのに、二冊組の四巻はどうするの?」という気分になるわよ。どーすんじゃろう。


やぐちまさき |MAIL