非日記
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2003年06月12日(木) 昭和のかほり。

アヴリルなんぞ借してもらいました。実は好きなんだ。

最近のCDにはDVDが付いているのよな。
「すげー顔で歌うんですよ。吸血鬼みたいで」
「見たい見たい☆」
ドキドキ要らぬ期待をしてたが、予想より全くフツーだった(笑)
もっと、「終盤でお迎えに来た黒の乗り手に指輪を差し出しかけるフロド(映画「二つの塔」より)」みたいな顔で歌うのかと想像し、「そりゃスゲーや!」と思ってたのよ。

単に顔の彫りが(日本人から見て)深すぎると見た。
そして私はわりと彫りが深い方が好みかもしれない。
よって好みの顔だ。
しかし、「好みの顔」というのと「好きな顔」というのは違うのだ。或日ふと、「この顔を見てると何故だか僕は幸せだなあ…」とシミジミ思うような顔が非常に稀にあるのだ。それは必ずしも好みの顔とは限らない。
(例:
「私の好みの顔=ミケランジェロやダ・ヴィンチ製作」
「私の好きな顔=古谷一行や中村吉右衛門」)

<そしてまたハリのネタバレ>
<ネタバレっていうか、私のネタをバレって感じだ>
結局>
ハリの原書は世界同時発売で、今月21日らしい。
が、問題は、私は英語がとても苦手だという事だ。しかもまだ「長文の方がマシ」ならよかったものの、長文は捨てていたのだ。
「フィーリングで読めば良い」等と人は言うが、子供の頃は知らない漢字や熟語など無視しながらフィーリングで日本語も読んでいたはずなのに、年取ったら何故かフィーリングで読めなくなったのだ。
だいたい、日本語ですら、自分フィーリングで読んだら大変な事になってるじゃないの。ちょっとした見解、視点の違いが、「ある人間」の印象を大きく変えてしまうようにだ。できれば、そういうポカミスは防ぎたいわよ。
しかし、それならば、余計、原書と翻訳と両方あった方が締めていけるのだけれど。

ポタ原作で、私がウンウン唸ってる部分だって、もしも原書で、過去形になってるか仮定法になってるか、その副詞がかかるのは単語になのか文脈へなのか、なんて事さえわかれば、それで内内の論争にケリがつくって程度のものもあるのだ。
ただ、同人女としては、あまりハッキリさせたら面白くないってのもあるわいな。


そういえば翻訳で「名付け親」となっていたのが、どうやら原書では「ゴッドファーザー」だったらしい。
印象的に、与える重みが全然違うと思われる。

少なくとも私なんぞにとっては「名付け親」なんてのはハッキリ言って誰でも良いのだが、そうだ。よく考えてみたら、向こうで(キリスト教で)「ゴッドファーザー」と言ったらば要は確かに「名前をつけた人」なのだが、フツウ同じ宗派でなければならず、「肉体の父(実父)」に対しての「魂の父(宗教上の父)」であり、その時点で家族となったと見なされる…のじゃなかったか。

私も色々翻訳物を読んだり見たりしたが、例えば子供が「何か悩みがあって家族に相談する事が躊躇われる」場合などには、「最も親しい大人」の筆頭として「まず最初に」相談する相手だった事が多いように思う。
「シリウスおじさん」等と表記されていると「ただのおっさん」のようだが、他宗教が思う「ただのおっさん」ではない。社会的には確かに父だ。
宗教性が強いのなら、実父よりもより重要な位置だったと思う。
いや、私は勿論専門家でもなく、一応仏教徒なので他所の宗教の事は知らんが。

なんか、大抵は「だから」実親か、神父だか牧師だとか、その地方の名士なんかが名前をつける習慣だったきがするよ。人に任せんで。「宗教上の父」などというタイソウなもんを「そのへんの行きずりのオッチャン」にするわけにはいかんので。


そうすると、
「シリウスが名付け親だった」というのが「ジェームズは特にシリウスを信用した」と呼応して補強しあっている事になり、印象的には「単純に「一番仲良しの遊び友達」だった程度じゃない」事を示唆するのかもしれない。
いや、そんな真剣なものでなくても。
少なくても「相当親しい。ほぼ家族のようなもの」だとか、「非常に尊敬していて」だのじゃないと、他人には頼まなかった気がするだよ。

私の印象に強いのは、「あなたが寝てる間に…」だ。あれで、そういう事を言ってたんだ。「「カトリックでは」名付け親は家族の一員と見なされる」だったが。
私は作者の事だとかサッパリ知らん上に、無論ハリーの諸設定など知らないどころか、わかっても宗派間の細かい常識やその違いだの知らんので、どんな習慣や常識がベースになってるか等わかろうはずもないが。
ただ、少なくとも、もしも読者がカトリック教徒であるならば、「シリウスが名付け親だ」と書いてあった時点で、「シリウスはハリにとって家族同然だ」と自然に感じる確率が高いのかもしれないと言う事だ。
それはつまり、シリウスの「裏切り」は、「友達が友達を裏切った」などと言う以上に、「「家族」に裏切られた」という感覚を含むかもしれないって事だ。
だったら一般的にいって、怒りの桁が違うかもしれない。
さらに、ハリは「家族」に対して憧れが強く聖域状態なので、通常の怒りを通り越したかもしれないとは推測されるよな。ハリの父母を死に至らしめたのみならず、ハリの踏んではならない聖域を踏み躙ったわけだ。

で、ともかく
そして、そうすると、シリウスがハリーを引き取ろうとしたのも割りと自然で当然だと考えられるのかもしれないなと思い。生物学的にではないが、宗教的に(つまり社会的に)「家族」だからだ。
子供を人に預け、ずっと海外にいた母親が突然戻ってきて、「今更母親だと認めてもらえるかしら?娘にはもうその家の人々が家族であって、私は赤の他人と同じじゃないかしら?いいえ、どんな理由があろうとも、養育を放棄してきたのは事実なのだから、赤の他人よりもっと酷いかもしれない」等と、先日昼ドラでやってたノリなのか。


ところで、ハリーなんてのはよくある名前らしいが、あの無駄に派手な名前の人間が何故そんな「すごくよくある名前」にしたのだろうか。父親がまたよくある名前だからか、それとも派手な名前をつけられた苦悩が人知れずあって、熟慮黙考の結果かもしれない。

名前からして名づけた者の期待をズシズシと漬物石のように感じ続け、自分が名付け親になるんなら人の期待なんか負わずに自由にのびのびと生きて欲しいと思ったとか。


ものすごい勢いで脱線>
そういうベースだとしたら、内圧に対する「俺は自由に生きるんだ!」的あの爆発性気性であり、思春期に悪戯三昧に走ったのもわかりやすく(きっと半グレ)、そしてその仲間であった友人を非常に大切にしようとしたのもわかりやすいかもしれない。
正しい不良は、規律や常識を鼻で笑うかわりに友達だけは異常に大切にするのだ。
よって不良は、一度身内と認めた者の裏切りをけして許さない。仁義と任侠の何たるかを見ればわかる。ケジメをつけるには指をつめねばならず、まさしく「なら死ぬべきだった!」だ。
袋叩きで許してくれたら超ラッキーであり、それは「本当なら今頃人知れず川に浮いてるだろうところを袋叩き程度で勘弁してくれ、どこへでも立ち去れだなんて、なんて優しいの?アタイ、そんなに愛されていたんだ。ありがとう、さようなら」レベルである。
で、スネイプ先生が優等生のマドンナで(笑)

いや、どっちかというと、
関東獅子組vs関西蛇組とかって感じかもしれない。
で、ジェームズが親分で、リリーが姐さんで、シリとリーが幹部で、ピーターは三下?鉄砲玉ピーター(苦笑)
そんでスネイプ先生は蛇組の幹部。
だって「堅気(マグル)を抗争に巻き込むなんて!」とかなてるし。ダンブルドア校長は「魔法使い同士の絆は」とかんとか言ってた。「杯」?
もしかしてまんまか。

そしてこれまでは地道にしのぎを削ってたのだが、急に海外からまふぃあが乗り込んで来て、勢力を拡大してきてだな。
裏社会を牛耳る怪奇な老翁のダンブルドアが時の警察権力者だかを呼んで、日本料理店でヒミツの話をするのだが決裂してしまい、「これからは国内で抗争している場合ではない」とか言って、「ともに、わしと杯を交わしたからには、おまえ達もまた兄弟となるのじゃ。これまでの血で血を洗う抗争はとりあえず水に流すのじゃ」とか言うて無理やり握手の四巻。

ルーピン先生は今は牧師か神父かなんかで、誰かが銃弾に撃たれて血塗れで雨の中転がり込んできたら「私の知り合いに口の固い医者がいる」とか言い出して、映画の終盤では教会で祈ってて、そこにはポッタ夫妻の墓があったりするの。
(よく考えたらハリ墓参りしてないな)
ちなみに最終決戦の直前には、かくし扉があってそこを開けたら拳銃が入ってたりしてさ、「またこれを使う事になるとは…」とか言ってたら、シリとかが来て、「おまえは来るな」とか言うねんよ。その後にはスネが来るねんよ。
シリとスネが別々に来て別別に去り(例:シリが裏から出ていったらスネが正面から入ってくるとか)、コンマ差ですれ違うのがポイントやねん。
「祈っていったら」とか言ったら、シリは「戻ってきたら」とか言って、スネ先生は「我輩には必要ない」とか言って、結果は同じ態度やねん。言う事が違って、やる事がいっしょやねんよ。

そんでシリとスネと両方が抗争で死んだ後は(死ぬんか?で、死ぬ直前にはシリはスネに謝ろうとするんだが、スネが「気持ち悪いから謝るな」って言って、シリが「やっぱ謝るの止めた」って言ったら、スネは「貴様なぞ嫌いだ」と何故か満足し、シリも「私もおまえが嫌いだ」と何故か満足し、二人とも何故か満足して穏やかにそれぞれ勝手に微笑んでるねんよ。二人は両思いやねん(意味不明))、ダンブルドア校長がハリを引き取ろうかって言うんだけど、ハリが断って、そこをルーピン先生が引き取るねん。ポッタ夫妻の墓の隣にシリとスネの墓があって、最後はルーピン先生にハリが背を押されて花を手向けて風が吹いて、「君は皆の分まで幸せにならないといけない」とか言って「でも僕忘れません」とか言って、マーガレットがざわわざわわで終り
(だから色々何故)

…やっぱ何故だかそげに見えるから、絶対シリかスネかどっちか死にそう。てゆうかどっちも死にそうとか妙に心配になるんか?

戻って>
あるいは、単に子供の頃悪目立ちして恥ずかしくて名乗れんほどだったので、こんな恥辱を無駄に負わせる事はないとか。

と、まあ要らん事色々考えて、「どこにでもある名前だなんて、ハリーはなんて愛されているのだろうか」と思う(笑)


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