非日記
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2003年05月30日(金) CD買った。

タブラトゥーラのCD「蟹」を買う>

蟹だったので気になった(あまりに単純な理由なので躊躇うこと二ヶ月)

自分が蟹座ってのが昔からタイソウ気に要らないのだが、蟹座なのは事実なので、蟹と聞くと「…ともだち?」と親近感が湧いて気になるのだ。一般に十三星座という区切りが日の目を見た時、「これでついに十ン年の蟹座人生にもおさらばネ!何になるのかしら!?何かしら?」とドキドキ見たら、なんとまたギリギリ蟹座だった。滑り込んでまで蟹座だった。やってられん。短い夢だったよ。
その昔、好かない人間が誕生日一日違いでやはり蟹座だったというのもあるのかもしれないが、単に蟹だってのも気に入らないのだ。だって形が変なのよ。可愛くないのよ。しかも雑誌の占いで蟹の項目を見ると、添えられているイラストがまた私の好みじゃないのよ。だいたい、あの、蟹座のろくじゅうきゅうマークはなんだ?十八禁か?
居を移した実家先は、水辺の近くで(汽水域なのだが)蟹が山のように居るのだ。階段を降りていくと優雅に戯れていた蟹集団が慌てふためき逃げ惑う。慌てふためき過ぎて、降ってくる足の真下に頑張って駆け込む始末。「…我が友」と落涙を禁じ得ない。さらに親近感が湧いた。鍋底に泡がつき始めるぐらいは沸いた。
加えて、ここ数年、親父さんは蝿から主旨変えして蟹に走ったのだ。ベランダに生ゴミを並べて蝿を集めていたように、休みともなれば蟹狩りに出掛けていく次第。彼の水槽には蟹が蠢いている。
「餌が足りないらしくって、共食いを始めちゃって屍骸の山ができちゃってさあ。ハハハ。とりあえずちょぴっとはまだ生きてるよ!足が足りないのとかも多いけど!数がどんどん減るんだよ!足が足りないのも毎日どんどん増えるんだよ!屍骸が匂って来てさあ」
「…はやく川に返せ」
くらり。憐憫が極まって親近感が?親近感が募って憐憫か。
私が帰らんので、偶にはと蟹狩り用地をこちらにする予定があるらしい。この地の蟹の平穏もこれまでか。もうすぐ鬼が来るのだ。

ともかく、そういうわけで、蟹が気になるので。中古で安かったのもあって、買ってしまった。
ライナーノーツによれば、
「都会的でモダンなスタイルの曲でありながら古楽器の響きがどこか懐かしく、ファンキーでドライな感じがありながらウェットで悲しい」
…先生、アタイ、ちょっと意味がよくわかりませんようよ(惑)気になったのは、それもある。わからんからには、実地、聴くしかない。
しかし音楽の解説、ライナーノーツや宣伝文句etc.いつもよく(正直に言うと、ゼンゼン、全く、ちっとも、サッパリ)わからないのだ。

買う。入れる。聴く。・・・

好きかも知れん。てゆうか好き。ひよよよよよ〜…って感じが。こういうの好きだ。元から、民族音楽とか古楽器とか、どこか古っぽいの好きなのだ。

うん、これが都会的でモダンでありながらどこか懐かしい響きをもっていて、ファンキーでドライでありながらウェットで悲しいものなのか。勉強になったよ。今度から「どんな曲が好き?」と問われたら、こう答えれば良いのか?
「そうねえ、例えば、都会的でモダンでありながらどこか郷愁を誘いつつ、ファンキーでドライなんだけどウェットで悲しい奴…なんかも好きよ」
えーと、…ちょっと長すぎないかしら?

いや、私は構わないけどね。聴けば、言いたい事がなんとなくわかったし。感じた通りに言うとこうなるんだなと。
ああいやいや、「都会的でモダン」のところはちょっとわからないかな。後、ファンキーという単語の意味がよくわかりません(オバカ)。特に片仮名は苦手なのだ。サイケデリックとアルカイックとエスプリと、ウィットだとか…そんなようなのもイマイチ明瞭にわからない。辞書を引いても良くわからない。雰囲気で読み流してる。

まだ、お脳の中に「えすぷり?」とか「さいけでりっく?」とか「うぃっと?」とか書いた箱を設置し、「ここに入れるんだってよ」と言われるがままポコポコ放り込んで、時々覗いてみて、チョッピリ溜まってるのを取り出して並べては(喩えるなら、例えば、あるコンニャクとある油絵とある人間Aとある本を並べて)「これのどこに一体どんな共通点が?似てる…気もせんでもないが」と激しく困惑している状態だ。
喩えるなら、「うぃっと?」箱を「ジョーク?」箱の隣に設置してみるのだが、点検時に時々間違えて入れていたらしい事に気づいたりもする。あげくに両方に入るものがあって(だから近くに置いたのだが)、どうやって入れれば良いのかわからない。箱をくっつけて並べ、その縁にのせてみたりするのだが安定が悪く、どっちかにコロっと落ちたりしてムカついて「この箱がイカンのか!?形が違うのか!サイズが違うのか?ウィット箱の中にジョーク箱を入れねばナランのか!?だがそうすると、ウィットに入らないらしいジョークはどこに入れるんだ!?」と箱を蹴とばしたり。半分ずつに千切って両方に入れてみては、レッドアラートが鳴り響き、「頭が散らかった!」と。仕方が無いので取り出してくっつけ、そのへんに放置。「片付かない」と苛々したり。
さらに辞書を引いて相当する「機知」だとか「冗談」とかいう日本語の和っかで、わかりやすく箱を整理しようと試みたりもするのだが、どう紐をかければスッキリするのかがわからなくて、また腹が立つ。

群雄割拠、乱立する謎の箱(や、袋や、籠やN次元空間。入物が悪いのかと色々手作りしたり新製品を導入してみた痕跡)と、周辺は未整理のゴミに囲まれ、自分の頭の悪さにブスブスとムカつく日々だ。

カテゴライズしてきた実像というか実物というか実例の量が全然足りず、総括ができないで定義しかね、基準となる要素を取り出してある構成をし、自分でその典型例を作成して「つまりこういうのだ」と解説できるどころか、「ほぼ正確に既製品を分類できる」段階にすら到底辿り着いてない2X歳なのよ。恥ずかしいわね(苦笑)
でも言語能力の一部は、青年期で臨界期を向え頭打ちになり後は下がる一方の数学的能力や運動能力などと違い、経験値と作業時間に比例して生涯延び続ける…という事に今はなっているらしいからな。


やぐちまさき |MAIL