非日記
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毎年、元旦をどう過ごすかっていうのは、
「これが一年の計になっちまったということか…」
と思うので、さりげに緊張する。 いや、緊張はしないが、残念に思う。もとい、ガッカリする。…もとい、苦笑する。
先程(22:15〜)、「転びオサメ」をしました。 歩いてたら、どうした事か目測を誤って溝にはまった。 三十五センチも落ちたので、落ちてない方の足を怪我したほどよ。 ま、私は溝にはまるプロだから、大した事はないがな!(威張らない) 踏み外した方の足はそのまま落として、問題はいつも、元の位置に残ってる方の足がどうでるかなのよ。「溝にはまりのプロ」は、素早く!足首を返して元の足を折りたたむか、とにかく力を抜くのだ。 落ちた方の足で立つのよ。 私が思うに、もっとプロで、物凄く運動神経が発達してるなら、落ちてない方の足で地面を蹴って、そっちもワザと落とすね。しかし私はまだそこまでは開眼してない。
しかし、長い三十五センチだよ。 「…ヤッた!」 と思ってから、着地までに、何か色々考えたキガスルんだが、その一つは 「まだ2002年だ!良かった。まだ元旦じゃないよ!これが一年の象徴ではない!」 だった。
そういえば、前に学生時分に遅刻したら、教室の噂では 「矢口さん、寝てるんじゃないの?」 だったようだが、現在偶に遅刻すると、職場の噂では 「矢口さん、(来るまでに、どっかで)転んでるんじゃないの?」 になってるようだ。 「失敬だな!アタイ、ヨチヨチ歩きの子供じゃないぞ!」と思ったが、本当のところありえない話じゃない。
そう言えば、某友人の家に遊びに行く事になり、しかし途中で転んで、あまりの素晴らしい転びっぷりに電話をしたのだった。「救急医療品ある?」と。 「とにかく来い」 というので、家に行ったは行ったのだが、やはり玄関で足止めされる。血塗れだったので、直ぐには家に上げてもらえなかった。
だいたい、二本足でバランスとって歩こうってのが世の中間違いの元やねん。 私の足はグウタラなので、横になって寝ておくようにできてるんだ。 子供の頃の兄弟喧嘩だって、一気で責めて防戦一方に追い込んでおいてから、体重をかけて身柄を押さえ、ゆっくり腰を落ち着けてから、そこらへんのものを手当たり次第に手にとって、タコ殴りにして泣かしたものよ。 足は蹴ったりするものではなかったのよ。首や急所を押さえて体重をかけ、動きを封じる為のものだったんだ!
ちなみにその状態では既に私は大泣きしていたので(注:泣いてからじゃないと攻撃できなかった)、現場を押さえられた場合、たとえ兄が泣いていようとも、 「何やってるの!?お兄ちゃんでしょ!」 とオトナには言われていたので、私は子供ながらにも「お兄ちゃんってのは可哀想だなあ。フフン、ざまあみろ」と思った(死) 不憫に思って、「お兄ちゃん泣かないで」と慰めてやったほどだ。すると「おまえが(俺を)泣かしたんだろうが!」と逆ギレされ、以下最初から巻き戻し、エンドレス・・・。
…いや、私は自分を弁護する。だって四つも年が違って、性差まであったら、力と智恵の差は歴然で、悠長に正々堂々とした手段を選らんじゃおられんかったのよ。当時の私の座右の銘は、「最後に勝ったものが真の勝者だ!」で、「我が辞書に一時撤退の四文字はあっても、敗北の二文字はない。生きている限り必ずチャンスは来る。必ず勝つ!」だったし。
そんな具合で(こちらが)全力を出しきって五割やっと勝てるか勝てないかという兄弟喧嘩をしてたので、皆が思ったよりか弱い生き物だと知らなかった事がある。 私は家の中でヒエラルキーの最下層にいた。よって、私の中ではね、全力を出しても、私が負ける方が普通だったんだよ。勝てると踏めて、争った事などなかった。ただ、誰でもそうだが、我慢できない事があっただけだ。 力が欲しいか(あーむず) 「力が欲しいと思った事はない」なんて私には信じられん状態だ。私は欲しかった。猛烈に。家の中で、家族に対し、対等の発言権を得たかった。 たとえ年はとっても、ヒエラルキーの最下層であることはかわらない。イニシアチブは握れない。 権利を得る、上り詰める為のその最短は、知識と智恵だと信じた。そして剛情さだ。
幼児にとって親に逆らうってのは、たとえて言えば、命を張る覚悟だ。 私は、今も昔も「親は子供を無条件に愛せる」などとは思ってない。「愛するべきだ」とも。だからその、命を張るほどの強情さだ。
ともかく、 捕まれた腕を振り払っただけで、表皮がビーっと裂けたりするんだよ。どうなってるんだ皆、今思ってもオカシイヨ皆(私の爪が鬼爪なのがイカンらしい) そんな儚すぎ。
あ、いかん。 眠くなってきた。 もうすぐ新年だ。 よいお年を、だ。 年賀状、間に合わない(苦笑)
やっぱ年越し「零〜zero〜」はやめとこ(笑)
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