あおい世界
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2009年04月30日(木) 父の病−癌。

今日の午後、まだ使える肝臓を増殖させる手術が行われる予定でした。
が、突然の発熱(38度5分)にて中止。
既に午後休を申し出た後だったので、
中止になったことは会社に言わず、予定通り早退し昼過ぎには病院へ。
手術開始予定だった時間に母と兄貴と一緒に医師から説明を受けました。

父の病名は、胆管細胞癌。
一般的にいわれる肝臓癌というのは肝臓細胞癌というもので、
父のは一割程度の発症率だそうです。
肝臓の右葉部分に約5センチの腫瘍があり、
今のところ、脈絡膜腫瘍(眼)との関連は微妙、
胃癌ともあまり関係がないそうですが、
半年前のPETで見つからなかったのに、
こんなになってしまっているというのは、
悪性度が極めて高く、進行がものすごく早いタイプのものだそうです。

右葉への血流を抑えることによって、左葉を育てようというのが、
今日の手術内容だったのですが、
胆管炎になったための発熱らしく、熱が下がるまでは手術は延期。
切るか、薬で治すか、何もしないか、
切ったとしても成功する確率が高いとは言えないらしく、
医師もまた検討し直すという段階のようです。


つまり、、、すごく難しいということ。
そして刻一刻と癌が成長しているということ。
ずっとお気楽に考えよう考えようって、
きっと大丈夫って思うようにしていたのに、
ここでこんな風に覆されるとは。
でも、これが現実。
医師が検討し直すと言っているのだから、
次の判断を待つしかないのです。



こんなとき、母の冷静さと的確な判断と行動にはホント頭が下がります。
父は数年前に運転免許を返納し、癲癇(てんかん)であることが判明してからは、
どこの病院に行くにも母が付き添うにようにしていました。
受付をすること、日頃の症状を話すこと、医師の病状の説明を理解すること、
そして処方された薬の飲み方など、父一人では心もとない状態になっていたのです。

今回の入院に至る時も、
大△病院の所見やレントゲンを日△病院へ持って行きたいこと、
父が(母もですが)尊厳死協会の会員であること、
苦しまないことを前提にしてほしいこと、
モルヒネに錠剤があるはずなので、もしものときは処方してほしいこと、
などなどを医師に伝えたそうです。

たまたま広△病院の医師と大△病院の医師が親しい仲であること、
さらに大△病院の医師と日△病院の医師も親しい関係であること。
父が日△病院の医師を慕っているし、
実家や我が家から日△病院が一番近くて通いやすいことなどから、
すんなり日△病院に決められたことなど、
今のところ病気の内容以外はスムーズに流れています。
あとは実際、切ってみて分かることや、
父の体力と気力、母の疲労度など、これから問題が出てくるかもしれませんが、
疑問と希望をすぐ医師に伝えることはとても大事だということを教わりました。

家族としてできることを精一杯やろう。
泣くのは一人のときだけにしよう。

母がまた心臓の発作を感じたらしく、
今朝、ニトロを服用したって言ってました。
母も心配。
なのに、こんなに大事な時期にあたしは咳をしているなんて。
最悪だ。
咳を治して、万全に備えなくては。



追 記  〜兄貴のレポート〜

主な治療方法としては、
1 切除
2 薬
位置は右葉前部で5センチ程度。
「ヒトデ」形状になっていなければ幸いである。
父の場合右葉部分が70%、左葉部分が30%で、
体積は1.2リットル程度、重さは1.5キロ程度と計算される。
父は若干一般より右葉の割合が多い。
通常の健康な肝臓であれば7割程度切除しても大丈夫である。
本日予定の手術は、
「門脈縮栓術」で右葉部分と左葉部分と2系通に分かれている右系統の門脈を塞ぎ、
正常である左葉部分の肝臓を成長させるのが目的だった。
右葉部分の切除の前準備術であった。
門脈とは腸からの栄養を沢山含んだ血液である。
昨晩熱が出た元因は患部が炎症にて炎症が発生した「胆管炎」である。
炎症を抑える薬を点滴して熱は収まってきたが暫し時間をくださいとの事。

追加
同癌細胞は「肺」「骨」に転移しやすいが「肺」への転移は確認されていない。
骨の検査を追加検査する。
転移の場合は大きな切開手術は手遅れとなり薬への治療となるか?



検索WORD = 父の病−


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