sasakiの日記
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ある日街の すき間から 青い空がのぞいてた それに気づかない 僕らの背中 季節が音も立てずに そっと移りゆく そっと逃げてゆく 人を置き去り
赤い信号 白い雲を ほんのひと時 止めている それを見てしまった 僕は なんだか淋しくなり 風を見ることも 空を見ることも 僕らはやめた
傷つくことばかり 妙に上手くなり 嘘で塗り固めることにあくせく いいことって あまりないけど いつか見たあの空覚えておこう
つかこうへいにはまっていた頃で、好きになったきっかけは映画の蒲田行進曲だった。階段落ちでヤスが這い上がってくるシーンと小夏がヤスに切々と心情を訴える場面は今でも泣ける。
僕はもう東京生活も板につき、渋谷のバイク屋でスクーターを買い(住民票は移していなかったのでマネージャー名義だった。)、まだヘルメットの規制も緩くノーヘルで都内走りまわっていた。はっきり言おう、本当はノーヘルが一番スクーターでは気持ちがいい。 あれ?スクーターの名前忘れてしまった。 青い色で少しふかし気味で発信するといきなりウィリーするやつ。 一度家の駐車場で頭を打った。なんていう名前だったっけ?
寅さん映画が好きになったのもこの頃だった。 前にも書いたが、きっかけは渋谷松竹でつかこうへいを見たことだった。 それまで寅さん映画を一度も見たことがなくて、一度くらいは見てみようかと思い映画館の階段を下りたところで前の上映が終わり階段を上ってくる人がつかこうへいだった。 「イェイ!つかこうへいじゃん!寅さん見るんだ?」 と思ったのをおぼえている。あとで何かのエッセーを読んだときに寅さんが好きだというようなことを書いていた。
家が山手通りの松見坂、行動範囲は渋谷、原宿、青山、目黒、下北、三軒茶屋、少し足を伸ばして自由が丘、西武の応援に所沢。 スクーター買ったのだって「個人教授」のルノー・ベルレーがずっと頭のとある場所にあったせいで、僕の行動原理は基本的にはミーハー。これに尽きているような気がする。含羞というのをそろそろ学習しないといけないのかもしれない。 僕はバイク便のお兄さんも負けるくらい東京を走り回った。 別に用事があったわけじゃない。ひたすら観光だった。
東京が一番好きなときに東京で暮らした。
ひとつの街で生活をしているのにそれでも日夜観光に時間を費やす奴というのはかなり珍しい部類に入ると今なら思えるが、当時はもう上機嫌だったのでそういった分別など何もない。ノーヘルに規制が緩いとはいえ官憲にみつかるとたちどころに止められ、いろいろ嫌味も言われる。一度彼女を後ろに乗せ、それこそ個人教授のように裏道をコソコソ走っていたら裏道にまでお回りは待ち伏せていてこっぴどく怒られた。あの時はさすがにかっとなった。が、まあ、二人乗りはいかんわな。堀江みたいになるかもしれないモンな。 「傷つくことばかり上手になって」というつかこうへいのエッセーのタイトルが気になって、この歌を作った頃は自分の気持ちのスイートスポットにドンピシャリにはまってしまい、誘惑に負けた。
景色は札幌、4丁目の交差点。大倉山のジャンプ場が見えていた。 札幌ももう都会の準備を始めていて、少しずつビルの高さが増すにつれ空や見えていた風景がふさがり始めていた。 昔に戻れといったって何も意味を持たない。 本当に昔がよかったんだったらみんなでデモやって街の増殖を止めてしまえばいいんだけど、誰もそこまでは切迫していない。 歴史というのは大体がナアナアなんだろうな? ただ、このころはガキどもはまだまともだった。 ナアナアも度が過ぎるといろんなものが壊れていくみたいだ。 映画館もなくなり、喫茶店も姿を消し、路面電車も消える。 今朝、起きがけに富貴堂という昔4丁目にあった本屋の夢を見た。 1階は細々と本屋をやっていて、2階に上がるとがらんと何もなく、背の高い小さなテーブルが2個あるだけであとは子供の託児所みたいになっている。人の気配はない。3階まであるらしいのだが階段のところで通行止めになっている。ところどころ4角い穴が壁にあいていて子供たちが出入りしている。僕は子供じゃないからここにいちゃいけないんだと思い1階に戻ろうとするんだけど1階に通じるドアが壁にあいてる4角な穴と同じになっていて、僕の体では通り抜けられない。足から入って抜けようとするのだけれど、向こうに何か引っかかっていてどうしても出られない。やばい!久しぶりに金縛られそうと思い無理やり目覚めたら、その足元でスポ太郎がいびきをかいていた。 落とし噺を書くつもりはなかった。
神経過敏な この都会 アンテナもがれた 少年たちは 生きずらい 世の中の中で 老け込むことに 拍車をかける 風を見ることも 空を見ることも 子供たちはやめた
sasaki

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