sasakiの日記
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| 2002年12月06日(金) |
地下鉄のハッピーマン |
「朗読者」は矢張り想像したような終わり方だった。この間の「スキッピング・クリスマス」みたいなことにならないで良かった。文学に向かってオフビートなどといった下世話な表現方法を使っちゃいけないんだけど、抑制が利くというのは気持ちがいい。 逃避というのは、逃げ去ることではなく、到着することでもある。 なるほどな。おぼえておこう。 孤独というのは本当に悲しいことで、泣けた。劣情に羽交い締めにされ、途中で滂沱の涙オヤジに変身。タイプとしては恋愛小説。コードで言えばテンションがかったBのイレブン・サーティー。なのか?
昨日、若者達に僕の好きなビル・ウィザース、ジェイ・ジェイ・ケール、ジェームス・テイラー、ケニー・ランキン等をたっぷり聞かせた。侘びさびの解らないボンズどもはものの見事にあられもなく気絶するように寝た。ふん。思った通りだ。このわたしに好きなレコードについて語れ、などと注文するからそういう目に遭うのじゃ。眠れ、眠れ世の中全て、寝さらせ。これからはハメルーンの笛吹男になって騒々しい音楽が好きな人種を皆、海の藻屑にしてやる。ケッケッケケケケケ。
新しい眼鏡を使って今これを打っているのだが、確かにパソコンを打つときにはとても重宝する。ある程度の距離までは自由に焦点が変わる。近いところ見て少し離れたところを見る。かなりバッチリと合う。 ところが本や新聞などを読むと、幾分状況が変わる。まあ、本は大抵右から左に進むのだが正面からずれるほど焦点が怪しくなる。焦点が合わなくなってきたら、改めて自分で焦点調整しなければならないような気がする。大体において本が菱形に見える。これってアリなんだろうか? 想像するに、この眼鏡のガラスの中に色々な焦点に合うための走査線みたいなものが無数に走っていて、それを各脳味噌が柔軟に対応しているのでは?どうだろう?人間生理の手品みたいな眼鏡だ。わかりにくい説明のような気がする。焦点に、惑わされ、最早ノイローゼが現れたか? ウルトラマンと言うより横浜銀蝿がサラリーマンに更正したような眼鏡である。ベイビー!
昨日、地下鉄でハッピーマンにあった。遠くからひたすら「ハッピー」「はっぴー」「HAPPY」「happy」だけを人に問いかけてくる。社内は一種の緊張状態に入る。勿論、聞かれた人が「thank you,i`m happy」と答えるわけはないわけで、一様にドキドキしている。僕だって当然のようにドキドキする。日常、何のイントロもなしにいきなりサビから選手権。幸せかどうかを問いかけられることってそう多くはない。それも全く見ず知らずの人に。それに少しコワイ。 でもよく考えてみると、その男はひたすら幸せについてしか興味がないのだ。文学づいている今の僕が言うならば、もうあまりにも実存的な領域で哲学的でさえある。もうこうなったらドキドキしている場合ではなく、態度を明確にしなくてはいけない。 聞かれたら答えようと構えていたら、当然のようにそういった人間は相手にされない。なにごともなく通過。 「ハッピー」「はっぴー」・・誰かが困っている。 でもそれは答えなければならない質問だから、そこが地下鉄の中だろうと、道端だろうと答える責任はある。これからの最重要課題でもあるのだ。
喉が少し痛い。個人練習に入ってきているのでそのせいか、はたまた流行の風邪かまだわからない。そんなに声を無理して出しているわけでもないのに季節か?喉がやられる。 HAPPY?
sasaki

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