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エビガラ子にばかり気を取られていたわけではない。 丸坊主のカラタチに産卵するアゲハママがいるので、 ときどき見回っては、生まれたての子を 葉っぱがたくさんある木に移してやらないと。
その、引っ越し作業中に見つけた。 オナガアゲハ。

シーズンに1〜2回、目にすればよいほうで、 見つけられなかったな〜っていう年もある。 また、ある場所のサンショでしか発生しなかったので、 てっきりサンショが好きなんだとばかり思っていた。 カラタチにくっついているのを見たのは初めて。
なんでこれがナミアゲでなくてオナガとわかるのか。 すんごく説明にくいのだけれど、 カタチもツヤも色の配分も、 じっとしているときのフォームも違うのだ。
エビガラ子はちょっぴり大きくなった。

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調律したて。

前回から2か月経たずして、だった。 今年のうちにあと1回かな。だろうなあ。
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朗誦伴奏CDを何度も聴くうち、 お話の内容とは別の、ある記憶がよみがえっている。

亡父は写真撮影を最大の趣味としていた。 最後の入院の際にも、傍らにカメラを置いていたほどだ。 郷土芸能やお祭り、それにかかわる人々を、 父はよく題材にして写真を撮っていた。 なかでも、花巻の鹿踊りの写真は圧巻だった。 大きく引き伸ばし、木枠のパネルに留め付け、 市だか県だかの芸術祭に出品したこの写真に、 賛否の声が上がり、父はずいぶん憤っていた。
写っていたのは、衣装を身にまとった踊り手が 身を「くの字」にして踊る様子である。 至近距離、それも、あおりで撮影したせいもあり、 画面から飛び出してきそうなほどの迫力があった。
問題となったのは、踊り手の足が、地面についていないことだった。 跳ねた一瞬をとらえたのだ、というのが父の主張。 しかし、一部、それはおかしいとう声が上がった。 鹿踊りは終始すり足なはずで、跳ねるのは不自然だ、 踊り手に頼んで跳ねてもらったのだろう、と。
バカがつくほど真面目で正直な父が、 そのようなヤラセをするはずがない。 「アングルによっては、足が浮いて見えることもある」 そう主張する父を信じたのは、父をよく知る仲間たちだった。 実際、一緒に撮影会に出向いたわけだし。
が、世の中のすべての人が父を知るわけではなく、 「不自然なものは悪いもの」という意見は その写真の展示が終わるまでつきまとった。
理不尽に悔しい思いをすることもある、と 子どもながらに感じたできごとだった。 このことで意見を求められたりはしなかったから、 小学校高学年とかせいぜい中学1年生とか、 そんなもんだったのではなかったかな。 電話でやりとりする父の口調が、 え、そういう一面もあるのか、と思うほど厳しかった。
ってことをですね、 朗誦伴奏「鹿踊りのはじまり」を聴くたび、思い出すわけ。 ああ、この場面なら、鹿が跳ねることもあるかも、と。
かく言う私は、本物の「鹿踊り」を見たことがなかった。 もちろん、YouTubeで検索して、見てみましたとも。
跳ねてるよね・・・(希望的な見方でしょうか)
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