きまぐれをジェット気流に乗せて。...菱安

 

 

命の花を - 2008年08月19日(火)

ライラックと言う名の車で、俺はいつもの海沿いへの幹線道路を走っていた。
すれ違うライトもまばらで、ただ深い闇を掻き分け、片側二車線を飛ばす。
流れ落ちる時間の中、やがて訪れる筈の終息に想いを馳せていた。
予定調和との決別は、だが本当に自身が望んだ事だったのか、今では闇夜に浮かぶヘッドライト程に朧気ではあるけれども。

1ヶ月前、十年勤めた印刷屋を辞めた。
理由は怠惰な日々の惰性と馴れ合いの漠然とした不安とが、ある朝起きたら耐えきれなくなる程に襲って来たから。
思い返せば幼稚で、そしてありきたりなのかも知れないな。
そう思えて何かしらの感情が揺れ動く。ただそれは揺らぎが幽か過ぎて、僕には何なのかが分かり得ないのだけれど―。
それからの1ヶ月は毎日、必ず夜にこの車で走るようになった。そこにはただ、閉ざされた蒼空があった。
闇よりも深い蒼空は、今まで生きた中で見たことがなかったし、しかもそいつは、手を伸ばせば触れる所にあったんだ。
新鮮で、だけどそれは閉ざされた喜びではありはしたけれど。

誰かにこの気持ちを伝えたい、その感情に気付いたのはつい最近だ。
友人たちは仕事を辞めた俺に優しく、それはぬるま湯のような言葉に俺には聞こえて仕方なく、まるで腫れ物でも触るかのような、その態度すらも気に入らなかった。
伝えるべきは、お前らなんかじゃない。
もっとこう、せめて感情だけでも共有出来るような、そんな存在を求めていたんだ。

緩やかなカーブを、有り得る限りをぶちまけて走り抜ける時、戦慄くタイヤとボディは、短く咳き込んだ。
冷や汗とセットの歪んだ口元は、虚空を翻して真紅に煌めく。
こんなもんじゃ終わらせないぜ。
衝動は溢れ、俺の手からやがて音を立てて零れ始める。
いつしか自分の呼吸音しか聴こえなくなり、世界が収束していく。

その刹那に何故か愛を感じた。

誰かと話したいと願った。
誰かと分かち合って、理解したいと祈った。
大切な誰かの暖かい手を、握り返したいと思った。

我に返り、視界が白いガードレールを捉える。
舌がひりついて、心臓がエレクトする。
涙で視界が滲んで、でもその瞬間、命の雄叫びを誰かが上げるのを聴いたんだ。



...



 

 

 

 

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