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2005年12月05日(月) カレー / あいちゃんが好きだ〜 / 黄門様

カレー
昨日作ったカレーです。
玉葱は小振りのものを選んでまるのまま入れました。にんじんも小振りのものを選んで、皮を剥いて3等分くらい(一口大)にして、鶏胸肉も表面を焦げ目が付くまで焼いてから、大きめの一口大にして投入。ジャガイモも本当は皮を剥いた状態で放り込みたかったのですけれど、保存状態が悪かったのかちょっとあちこち剥いたり彫ったりしなければならなかったのが残念。ルーはハウスのジャワカレー中辛。うちの定番です。

昔はカレーで辛さを追求しました。辛さを和らげる野菜を入れるなんて言語道断。辛味スパイスをどんどん足して「はひー…ほへー…!」としながら食べることがカレーの王道だと思っていました。が、年をとると共に、辛さのみの追求から野菜などのうまみの調和を求めるようになりました。どうやったら玉葱の甘みを残したまま煮込めるかとか、ジャガイモのホクホク感を残したまま味を染みこませるにはどうしたらいいのかとか…残念ながら品種が違うと火加減も違うので日々これ精進と言うことで正解もゴールもないような禅問答ですけれど、それでも、決まった時はうれしいですね。今回はまるのままの鍋に入れる玉葱も1つ別に粗みじんにして加える玉葱や鶏肉と共に蒸し焼きにしてみました。甘さは結構強く出ました。後、付け合わせに今回はスイートコーンと、揚げ縮緬、それとモツを用意してみました。結果、スイートコーンはカレーと混ぜては駄目と言うことが改めて判りました。食べる時、ご飯とカレーを混ぜたその上にコーンを載せるような形で置くと、カレーの辛味とスイートコーンの甘みがうまく合う感じがします。今まで漠然とどうでもいいやと食べてきましたが、ほんの少しの違いで味は大きく変わるものだとびっくりです。揚げ縮緬はちょっとあわなかったですね。揚げてあるパリパリ感とカレーの柔らかさは相反する気がします。やはり縮緬はカレーなど掛けずとも、ご飯と一騎打ちで食べたいものです。柔らかな縮緬だと今度は味がカレーに飲み込まれてしまうでしょうし、まぁ縮緬はカレーには合わないと言う結論で良いでしょう。モツも、少なくとも私の作ったカレーには合いませんでした。モツの味が弱すぎるのかもしれません。


あいちゃんが好きだ〜

1日夜9時半頃、東京の地下鉄東西線で運転士が「あいちゃんが好きだー」と大きな声で叫びながら運転していることに乗客が恐怖を覚え、駅に停車した際、ホームの非常ベルを鳴らして通報しました。しかし、駅の助役が「問題なし」と判断し、その駅に交代できる運転士が居なかったことから5駅先の妙典駅まで1人で運転をさせ、そこで初めて運転手を交代させたそうです。

これってとんでもない事件ですよね。東京メトロのコメントでは「調べたけれど飲酒などはしていないから大丈夫だと思った」と言う事みたいです。しかし、その5駅+αの間、先頭車両にいた乗客はとても怖い思いをしていたことでしょうね。
私のあだ名は「熊」「戦車」って言うんですよ。どちらも社会人になってから就いたあだ名で、やせていた頃からのあだ名なので体格を表したものじゃないんです。体重が50kg前後のガリガリ君だった私ですが、仕事が煮詰まってくると、席を離れて1人であっちこっちをうろうろしながらアイデアを考えます。で、その時はものが見えていないので勢いよくまっすぐ歩いて私の歩く進路にあるゴミ箱を蹴飛ばし、踏みつぶし、机やドアにも勢いよくぶつかり、壁を蹴り…そんな姿があだ名の由来です。更に机に座って居ても「ここは○○で良かったんだっけ?」「そこはどうなっているの?」なんて独り言を繰り返して、周囲にいる部下たちは自分に質問が来ているのかとその都度緊張していたそうです。すぐにあれは独り言だって慣れてしまったようですがね。今でも仕事が忙しいと独り言を話しているようです。独り言を話す事が仕事として許されざる事だったら私も失格かな。と言うわけで自己弁護をするつもりではないですが、果たしてこの運転手の独り言って言うのはどの程度のものだったのでしょう。少なくとも私は仕事中に「セイラさ〜ん」とか「萌え〜はあと」なんて叫んだりしませんし、その「あいちゃん」が何者か知りませんがそんな私的な叫びを発する運転手は、私から見ても十分キケンな人だと思うんですけれど、独り言を言う癖、ストレスを発散させるために叫ぶと言うことは良くあることだとも思うんですよ。
ただ、この事件でまずいのは、まず、運転手が乗客にまで聞こえるような声で叫んでいたこと。ぶつぶつ言う程度なら誰にも悟られずニュースになることもなかったのですから。そして何より一番悪いのは、この駅の助役という人ですね。客がわざわざホームに降りて非常ボタンを押して「あの運転手は怖い」と訴えているのです。その運転手を飲酒の兆候が見られないから大丈夫と判断し1人で運行させたというのは如何なものでしょう。心神喪失状態で幼児を殺したりする人たちは別に酒なんか飲んでいなかったでしょ。上では独り言を言う癖はあるものじゃないかと弁護みたいな事を言いましたが、私だってもしその場に居合わせたら、そんなヤツの運転する列車になんか乗りたくないですし、そいつがまた運転するとなれば怖くて乗る気にならないでしょう。多分、騒いでかなり大事にすると思いますよ。その駅に交代する運転手が居なかったなら、運転手を呼び寄せるべきなんです。いや、どの駅にでも速やかに交代できる運転手くらい待機させておくべきなのでしょう。ところがそれが居なくて、更に運行に差し障るとその運転手を一人で運行させるなんてもってのほかですよ。少なくとも助役自ら運転席に同乗し監視をします。と言う態度くらい見せるべきだったのではないでしょうか。
先日の東武で起きた自分の子供を運転室に入れたまま運転した事件は、運転手のモラルを問うと書きました。でも、この事件は運転手ではなく、駅助役という管理をする側の判断の甘さ、いい加減さ、無責任さが問われる事件だなと思う次第です。

運転手が異常な行動をとって犠牲者が出る事故は無くなりません。人様の命を預かる職業について、あこがれや知識だけで出来ると言う今の体制は間違っているのではないでしょうか。人の命を預かる事への責任感や、精神的に破綻の兆候がないと判る人のみと言う厳しい資格、そして定期的な厳しい試験を行うべきじゃないのかなぁ…それが叶わない内は、少なくとも客を出来る限り安心させる方策くらいは講じて欲しいものですね。


黄門様

ちょっと仕事の営業をして来て、テレビをつけたら水戸黄門をやっていました。ろくに画面も見ずご飯の用意をしていたら、助さんが偉そうな物言いをしていました。「ん?今日は助さんが黄門様に変わって申し渡しをしているのかな?」と思って画面を見ると、助さんは黄門様になっていました。いや、里見浩太朗さんが黄門様になって久しいのは重々判って居るんですが、最近は毎日夕方4時からの再放送もよく見ているので、ついつい「里見浩太朗さん=助さん」と言う図式が脳内にできあがってしまっていたのでした。「夕方は助さんやったのに、夕方には黄門様になってはる」ってなんかすごい出世ですよね。

里見浩太朗さんのHPを拝見すると、助さんを演じ始めたのが昭和46(1971)年(大阪万博の翌年、札幌オリンピックの前の年)の第3部からなんですね。それから平成14(2002)年まで30年も助さんを演じてこられたわけですが、その間黄門様は東野英治郎さんから西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さんと変遷した訳ですけれど、はたして、里見浩太郎さんはその間どう思っていたんでしょうね。あれだけの人気俳優さんですから、「いつかは自分が水戸黄門役に」と思っていたのでしょうか。自分より年下の石坂浩二さんが水戸黄門役に抜擢されたときはどんな心境だったのでしょう。
オチのある話ではないのですが、時代劇のエリートという感じの人だけに、こういう時の心境というのはどういうものだったのか、ものすごく興味のあるところではあります。帰ってきて、助さんが黄門様と思ったとき、そんな話が頭をよぎったのでした。


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