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2004年11月23日(火) 男女の差は悪か?

昨年のキリンビールに続き、サントリーは水着でビールジョッキを持ってビールの宣伝をするキャンペーンガールを廃止すると発表したようです。「ビールも多様化しており、中身や特性をPRした方が効果的」で、女性愛飲者も増えている事もあり「廃止は時代の流れ」と言っていますが、サッポロビールとアサヒビールは来年もキャンペーンガールは継続の方針だそうです。

確かに女性の客が多いところに水着女性をぶつけても訴求力はないかもしれませんね。
どこかの大学の変な教授みたいに、「キャンペーンガール」なんて言うと「男女差別だ。女性蔑視だ」と騒ぎ立てるような方もいらっしゃいますが、わたしは女性のもつ柔らかさを商品価値とするのはあながち間違いじゃないと思います。そりゃ、中にはその「柔らかさ」を持たない女性もいらっしゃるでしょうね。女性だけではなく、男性だってそりゃ千差万別ですから女性らしい男性も男性らしい女性もいるでしょうし、それこそありとあらゆるタイプの人がいらっしゃるでしょう。みんなが違うんだから、その中である部分で特に優れた部分をアピールすることは悪いことではないと思われます。なぜ、頭の良さを競うことは良いことで、美を競うことが悪いことなのか、その区別が私には分からないのです。頭の良さも、美しさも、それ以外の秀でた能力も、すべて「タレント(talent:才能)」ではないかと思うのですが、一般的には「美しい事」「歌う能力」「演じる能力」などが秀でた人だけをタレントと呼んでいるようで、それが誤解の元なんじゃないかなと思う次第です。

男女は体の構造が違うものです。男性、女性という意識があることは悪いことではないと思います。幼稚園などで競争して順列をつけることは良くないからみんなで手をつないで徒競走をするとか、なにか意味を取り違えたヒステリーに迎合した行事があるように、男女の区別をなくすると言う間違えた方向の模索の結果が芸能人などでのオカマキャラの台頭なんじゃないのかなと思うのです。中性的でかわいいという人もいますが、残念ながら私には中途半端などっちつかずのキャラクタに思えます。無職の人をフリーターといい、浮浪者をホームレスと言うように、カタカナ言葉に置き換えて言葉を柔らかくしてショックを和らげるというか、惨めじゃないものにする。そう言う手法がまかり通るように、中途半端なキャラクタにも「そう言うのがあって良いじゃない」と何でも個性だといって体裁を取り繕っているように感じてしまいます。私は別にオカマキャラの芸能人を気色悪いとか見たくもないと思っている訳ではありません。単に中性的なキャラという位置付けは女性の地位向上の弊害ではないかと言うことを言いたいだけです。果たしてどんなものでしょうね。


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