2007年05月06日(日)
執念のベリケン
暦通りのGWだったので、後半は実家に帰省。
とはいうものの、父の勤務の都合上まともに顔を合わせたのは5日のみだったので、何か物足りず、若干寂しさも残った。
ところで、私は今携帯に3つストラップを付けている。
一つはソフトバンクホークスのもの。
もう一つはダイナマイト関西オープントーナメント2006。
そして、「きらきらアフロ2005」DVD初回特典の「ベリケン(鶴瓶+ビリケン)」人形。
おおっぴらに(私はきらきらアフロと鶴瓶さんのファンだ)と言って回ってるようなものを恥ずかしがらずに堂々とつけている訳だが、私の使い方が悪いのか、人形についてある留具が折れて本体から外れてしまうことが手に入れて1ヶ月以内に起きた。
この時は大戸屋の店員さんが拾って届けてくれた。
そして今日、付け替えて1週間も経たないのにまたも折れて外れていた。
空港で気づいた時にはベリケンは影も形も無く、(全然、幸せのお守りと違うやんか〜!)とがっくり。
見つけたところで、それこそ小堀さんの虎のカウチンのように、“道で落ちても拾わない”物に分類されそうなものだとは思うけれども、どこで落としたのかが分からないので気を落として飛行機に乗ったが、羽田に着いて留守電を聞いたら、車のシートにベリケンが鎮座していたと父から入っていた。
ほっと一安心だが、落としても必ず見つかるベリケン。
故意に落としても見つかりそうな気がしてちょっと怖い。
“捨てたらアカンで〜”という鶴瓶さんとビリケンさんの執念が盛り込まれているのでは無いだろうか、なんていらぬ妄想まで抱いてしまう。
帰ったら会報が届いていた。
央人くんの誇らしげな幼稚園入園の写真。
撃ちっぱなしでも話題に出てたりしてるのだろうか。
少なくとも今年に入ってから「撃ちっぱなし」は見ていないので、「百式2007」は去年にも増して分からない漫才が増えていそう。
そういえば4日に大学の同期と会った時、彼女がその日20代最後の誕生日というので、
「私の20代って2丁拳銃に費やしたようなもんだったなぁ」
と私が言うと、
「だね〜。本当そうだったね〜」
としみじみされた。
10代は生きていればいつかすぐ終わるものらしいが、20代もまた然り。
予想していたよりも20代は激しくてそれなりに波乱も挫折もあったが、決して悪くは無いものだった。
「母親の死」という非常に強烈な出来事から、私の20代は始まったようなものだ。
多くの人は後2〜30年先に経験するようなことを何故私はこの年齢で経験しなくてはいけないのか、と運命や神を呪った。
しかし、もう二度と私は「母親の死」を経験しなくてもいい。
「母親の死」は、リリー・フランキーの「東京タワー」を引用すると、
>悲しみの始まりと(オカンが死んでしまうという)恐怖の終わり
である。
死別という喪失感を完全に埋めることは無理だけれども、色んな人や思い出や作品によって救われた。
自分という存在を否定されて自分を見失ったり損なったりしそうな時期もあったが、誰かが必ず救いの手を差し伸べてくれた。
それらを経験出来ただけでも、20代はかけがえのない時期だった。
これからもそうあると信じている。
20代最後の誕生日まで後2ヶ月ちょっと。