2007年04月18日(水)
この限りないむなしさの救いはないだろうか
朝からザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」を3回聴いた。
何回聴いたところで何かが変わることは無いのだけれど、やりきれなさ過ぎる。
一報を知ったのは20時20分頃だった。
19時45分頃、父に掛けた電話を切って風呂に入り、上がった後携帯を見たら20時2分に父から着信があった。
その少し前まで電話で話してたので、何か急用が発生したか話し忘れたことでもあったのかと思い、髪を乾かした後「何かあったん?」とコールバックしたら「うん...あんさ...長崎駅の、伊藤市長の、事務所で...」と、上ずった声で父が話し出した。
“伊藤市長の、事務所で”
と聞いた時、私は文字通り、
<伊藤市長の事務所で> 何かあったのかと思い、
「火事?」
と聞いた。
しかし、長崎弁では助詞の“の”は、主格の“が”という意味もあり、父は<伊東市長が事務所で>と私に言ったつもりだったらしく、
「火事?」と言う間もなく、「違う!撃たれとっと!事務所ん前で!NHKばつけて見んね。今やりよるけん!」
と興奮した調子の返事が来た。
(...えっ?)と思い、慌ててテレビを点け、NHKに切り替えたら、混乱している現場の様子が臨時ニュースで放映されていた。
あまりに予想外で非現実なニュースだった。
動機は思想ではなく私情だった。
犯行後自殺を考えていたらしいけれども、狙撃後は逃げようとし、逃がすまいと逃げる足に追いすがった女性は市長の奥様だった。
あまりにも理不尽で圧倒的な暴力を目の当たりにすると、怒る気力も湧いてこない。
“やるせないモヤモヤ”や“限りないむなしさ”ばかりが募る。
しかし、沈んでばかりもいられない。
昨日、本島等元長崎市長や土山長崎大学元学長がインタビューに答えられていたが、2人とも主張が通らないと暴力で通そうとする野蛮さを“長崎の恥です”と言い切っていた。
高齢の2人が力を振り絞って全身で怒りを主張している。
このお二方に比べれば私はまだ若造の部類にいるのに、儚がったりむなしがったりばかりいてどうする。
“もえたぎる苦しさ”が“明日も続く”とは限らない。
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tomoさんから、なだぎブログに鶴瓶さんとなだぎさんが一緒に仕事をしたと書いてあることを教えてもらい、早速見る。
あぁ、なだぎさんが羨ましい。
私にとっての夢の共演は何だろうかと考えたが、2000年の7月にもう果たしてることに気づいた。
あの「いろもん2」は保存版だ。
DVDに焼いといて良かった。
下北沢で「つるべのらくごのお稽古」が3月から始まったが、平日の13時はどうあがいても地団駄踏んでもハンカチをキーっと噛み締めても無理。
大人でも、というか大人だからこそ、ままならないことがある。
百式のDM届く。
チケット代が3000円以上とか、米朝一門会と被るとか、予約引き換えが25日(給料日)前とか、そういう事情が被れば今年に限り欠席もあろうかと思ってたら、全て無問題だった。
こういうのもツイてると言うのだろうか。
小劇場バージョンと大劇場バージョンの両方体験とか、東日本版と西日本版の体験とか、そういうことはもうやらない。
後進に道を譲る。
LIVE STAND'07の売れ行きが笑えるものらしい。
どれぐらい笑えるものなのか見てみたい気もする。
最近、至るところであのPRをよく見るが、それだけ吉本の芸人さんが多いということか。