つらつらきまま


2007年01月13日(土)
もうええわ

チョップリンが出るお芝居を見に行くために中野に向かっていたら、人身事故の影響により東中野で総武線も東西線もストップ。
 慌てて関東バスで向かったものの、naoさんとの待ち合わせ時刻に25分ほど遅刻してしまい申し訳なかった。
 思えばnaoさんとの出会いのきっかけはハリガネロックだったのに今ではお互い松竹芸能がブーム。
 来年は何が来るだろうか。
 
チョップリンの名前がパンフレットの一番上に書いてあったのでめちゃめちゃ主役かと思ってたのに前半の出演時間は30秒も無かったので、お誘いした手前ハラハラしたが、後半は割と出て来たのでホッ。
 去年のNHK上方漫才コンテストを受賞したコントも見れたし。
 シティボーイズの舞台をやっている作家さんが参加しているので、途中からは演劇ではなくコント中心の構成だったが、面白かった。
 一つ、あまりにベタな設定のものがありそのベタさ加減がどうしようもなくツボに来て笑い転げてしまった。

 それにしても鶴瓶さんは形状記憶笑顔だが、チョップリンは形状記憶ビジュアル。
 チョップリンのビジュアルは私がハマり出した4年前から殆ど変わってないと思う。
 結局昨年は東京での単独ライブが無かったので残念だったが、8月にワッハホールであった単独ライブが3月にDVDになるらしいのでそれでよしとしよう。
 早速Amazonで予約。

今日の朝日新聞に落語芸術協会会長こと桂歌丸師匠によるお笑いブームの論評が載っていたので読む。

 師は最近のお笑いについて

 >見ててくたびれちゃう
 >聴いた後ジーンとくる、ほのぼのとする、そんなものが欲しくなる

 と書いてらっしゃり、私が落語に傾倒し出した理由の一つがそれでもあるので、この点は非常に同意。
 漫才やコントの時、殺伐とした言葉を耳にすることが増えて来て、げんなりするようになった。

 ただ、先ほどの意見と矛盾するが、「しねーっ!」という言葉をよく耳にするお笑いライブ「チハラトーク」に関しては、私はあまり気にならない。
 それは、「しねーっ!」が、話をする側はもちろんのこと、客席のこちら側も聞きながら本当に「怒り」や「憤り」を覚えてそれが最高潮に達する時に初めて発せられる言葉だから。
 
 でも、「死ね」とか「バカ」とかいう言葉を普通の相槌のように使う漫才や、「布団圧縮」のようなある意味公開処刑のような行為は、“お笑い”でも“演芸”でも無いと私は思う。
 それでも笑いが起きる客席にうっすらとした怖さを覚え出した頃に、落語を知った。
 もちろん落語にも残酷な噺や今の社会通念では全く笑えないサゲのものもある。
 だが、万が一の事態が発生しないようハラハラとムカムカを覚えながら見ることはまず無い。
 のほほんと最初から最後まで笑って見ていられる。

だから、歌丸師の主張は大体は同意出来るのだが、漫才の「もうええわ」についての師の見解にはちょっと納得行かず。

 師は漫才について
 >ぶつ切りの笑いを連続するだけで、最後のせりふは必ず「もうええわ」でしょう。
 >コミュニケーションを断ち切ってしまう。
 >議論の必要なし、問答無用(という笑い)

 という。

 漫才のシメに使われる言葉は「もうええわ」以外にも、
 ・「いいかげんにしなさい(しろ)」
 ・「やめさせてもらうわ」
 ・コンビオリジナル(ますだおかだの「閉店ガラガラ」、おぎやはぎの「〜この辺でネタをさげさせていただきます」、ハリガネロックの「センキュー!」etc)
 と色々あるけれどもそれは置いといて、果たして「もうええわ」は

 “議論の必要なし、問答無用”

 だろうか。
 私はそう思わない。

 「もうええわ」を言う人はツッコミ担当の人だ。
 私は、ツッコミは客の気持ちの代弁者の役割も兼ねていると思う。
 自由奔放に繰り出されるボケに、的確なツッコミが入ることで、漫才が適度に締まったり弾んだりし、世界が広がっていく。

 「もうええわ」は、ボケの存在を潰したり切り捨てたりするために使われる言葉では決して無い。
 残念ながら滑っている時ならば、客にこれ以上の苦痛を与えないために使われる言葉になるが、ウケている時ならば、客に“この漫才面白い!”という余韻に浸ってもらうために使われる言葉だ。
 どんなに大好物の献立でも続けば飽きることと同じで、面白いネタも同じやり取りが続けば次第に飽きる。
 この言葉が出されて終わることで、演者も客も満足感で終わることが出来る。
 いずれにせよ、客と演者を繋ぐために使われる言葉だと思う。
 
 この「もうええわ」を吐き捨てるように言って終わるコンビもいることはいる。
 だが、微笑み混じりに「もうええわ」と言った後、ポンと軽く相方の胸元を叩き、ネタの終わりを告げるコンビもいる。
 “ここでこのネタは終わりですよ”という合図だ。
 それがあることで、こちらも面白さの余韻と(もう終わり?もっと見たかったなぁ)という若干の物足りなさを覚えつつも、気持ちを切り替えて拍手を送ることが出来る。
 後者の終わり方にはそれこそ“ほんわか”や“ほっこり”が満載で、とても好きだ。
 
 ...だから2丁拳銃の漫才から私離れられないんだなぁということに気づいた。
 ありがとう、歌丸さん。  

「文珍・南光のわがまま演芸会」を見る。
 文珍さんの新作落語「風来坊」は途中からハメ物がどんどん鳴り響き、典型的な上方落語だわと見ながらにやり。

愛知厚生年金会館である吉本のライブ。
 ロバートだけ何か場違いのような気が。



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