2007年01月06日(土)
笑い始め
今年初のお笑いライブを見にルミネへ。
毎年貼ってある場所に行ったら無かったけども、今年は芸人年賀状やらなかったのかな。
やったけど3が日だけだったのだろうか。
「日常2」のフライヤーがあったので何気なく手に取って見たらキャストに修士さんの名前が。
前作は脚本家陣に野々村さんがいたからその繋がりだろうか。
「野々村さんすごーい!」と前作の脚本家のクレジットを見てナオさんと盛り上がったことを思い出す
今年初のお笑いライブは「桂三枝の笑ウインドウツアー2007〜爆笑創作落語独演会〜」。
上方落語協会会長であり昨年の紫綬褒章受賞者の落語でございます。
三枝さんの「創作落語」はいわゆる新作落語で、1981年から制作に取り組みいまやその数200本!
噺の内容や演出法も多岐に渡っており、中にはカラオケ機器を使って噺の合間に生歌を挟み込む噺もある。
枠にとらわれない自由な落語だったが、(何でもありすぎだなぁ)ということも少し思った。
鳴り物使用は上方落語の十八番ではあるけれど。
“落語”の概念そのままの噺を聞けると思い込んでいたので、個人的にはちょっと戸惑った独演会だったが、2ヶ月以内に上方落語協会会長の落語も上方落語協会理事(鶴瓶さん)の落語も聞くことが出来た。
来月は人間国宝(桂米朝さん)と六世笑福亭松鶴の一番弟子(仁鶴さん)の落語も聞きにいく。
...大阪府和泉市に。
フッ、あまりのばかばかしい行為に自分でも自分を鼻で笑ってしまうほどだ。
何故にわざわざ和泉市まで行くのかというと、仁鶴さんは吉本所属だから浅草花月やら何やらで東京でお目にかかれる可能性はあるけれど、米朝さんはご高齢だからこちらから関西の落語会に出向かないと無理だろうから、ということに尽きる。
日曜の昼公演なので本当にトンボ帰り。
西村京太郎なら時刻表を駆使して鮮やかなスケジュールを組めるんだろうなぁ。
明日は米朝さんのお弟子さんの桂米二さんが深川でやる落語会。
「たち切れ」をやるとのことなので、これを見逃す手は無いと思いリザーブした。
思えば私の落語会通いは、青山寄席で聞いた鶴瓶さんの「たちぎれ線香」にハマったことから始まる。
ぶわっと視界がぶれたと思った途端、聞きながらぽろぽろと涙が零れたのはあの時が初めてだった(「ピストルモンキーフィーバーマン」の「病室」のコントで泣いたが、目尻に涙は溜まっても零れ落ちることは無かった)。
「たちぎれ」の演出は噺家によって様々で、この噺を人情噺として片付けることに異議を唱え、あっさりとした笑いでサゲる人もいる。
私が泣くほど感動した「鶴瓶流・たちぎれ線香」も、「くどい」「鶴瓶は自分の感情を客に押し付け過ぎる」と、人によっては散々だったりケチョンケチョンだったりする。
米朝さんの速記本や文枝さん、吉朝さんの「たちぎれ」「たちきり」を読んだり聞いたりするうちに、この方達の演出と鶴瓶さんの「たちぎれ線香」とで明らかに違うところがあったような気がして、それを確かめたいのだが、次に聞けるのがいつになるか分からないのが残念。
米二さんのブログを読んだら、自分の中に理想とする「たちきれ」があり、それにどこまで近づけるかが鍵らしい。
明日は美しい世界に浸って、笑って、そして、泣く。
それを見越してコンタクトではなくメガネで臨む。
落語は笑うものだけれど、無理に笑いに持っていかなくても良いものもあるような気がする。
落語だけでなく、コントも然り。
邪道かもしれないが、笑いの裏にある悲しさにもどうしても惹かれてしまう。
だから2丁拳銃が単独ライブでやるコントはとてもしっくり来る。
今年こそコント単独を見たい。
2004年以来随分とご無沙汰。
そういえば年末の小堀さんのブログについたコメントを見て思ったことが一つあった。
それは(漫才だけが本業なのかなぁ)ということ。
漫才に比べると若干コントの評価が低いような気がして。
ちなみに私は「エンタの神様」に関しては、好きな番組演出ではないし、2丁拳銃の芸風にはあまり合わないと思うけれども、今のところ「エンタ」が若手芸人の登竜門的番組であるならば、それを避ける理由は無いだろうと思う。
<2丁拳銃の舞台は面白い><2丁拳銃のネタはどこか違う>ということをいくら力説しても、それは見て貰わなければ分からないし、何より2丁拳銃に興味といくばくかの愛情を持って貰わなければ始まらないし伝わらない。
その足がかりとして、まず「エンタ」に何度か出て顔と名前を覚えて貰うことから始めることは、私は“アリ”だと思う。
「エンタ」の演出で2丁拳銃の良さがどれほど伝わるかは正直疑問だが、否定ばかりでは始まらないし、もしかしたら化ける...かもしれないし。