つらつらきまま


2006年10月15日(日)
「読書の秋」続行中


願わくば初めて見に行く落語会は「笑福亭鶴瓶落語会」でありたかったのだが、現状ではその日がいつ訪れるか分かったものではないので、とにかく“落語”をいっぺん見に行こうと思い、以前見て面白かった落語家さんの情報を検索したら、活動休止中…。
 何故にこんなに全てが空回り…と思いつつ、夕方から「ザ!世界仰天ニュース」の未公開トークとニッポン放送の「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」という“W鶴瓶”を楽しんで回復。
 
「落語 小説」で検索すると必ず出てくるため、北村薫の「円紫さんと私」シリーズを読んでみようと思い、1作目である「空跳ぶ馬」を買った。
 「創元推理文庫」なので、ジャンルは“ミステリ”になるけれども、読み進めるごとに気持ちがすとんと落ち着くというか、穏やかになっていった。

 最大の理由は、“人が死なない”にあると思う。
 起こる事件も解き明かされる謎も“日常”の範疇にある。
 主人公の「私」は「落語好きで寄席にも定期的に足を運ぶ女子大生」という設定だが、“寄席通い”という行為が、熱狂的とかマニアの域に達するような書かれ方では無く、まるでCDショップや本屋に足を運ぶことと同じようなことであるかのようにあっさりとした書き方であるところも好きだった。

 「私」の周りで起きる不思議なことの謎解きをするのが、「私」の先輩であり「私」がファンでもある春桜亭円紫師匠だが、
 >私が円紫さんを好きなのは、聞いていると本当に心が休まるからである。
 >いたわり、という言葉に最も近い暖かさが高座から伝わって来る。
 >居心地のいい落語なのである。
 という設定なだけあり、円紫さんが出て来るだけで場面全体の空気が穏やかになる。
 じっくりと謎解きを楽しめる。

 そして、「私」と「円紫さん」の両者が「落語」を本当に好きで好きでたまらないという描写が全編に表れており、演芸場とはどういうところなのだろうかとか、この噺は実際の落語家さんはどう噺をつけるのだろう、と色々興味が湧いて来る。
 「しゃべれども しゃべれども」とはまた違う爽快な読後感で、BOOK OFFで最近聞かなくなったCDや見なくなったDVD・本を売りに行ったついでに続編の「夜の蝉」も買って来たので、今楽しみに楽しみに読み進め中。
 
 もう一つ気になっているのが「落語娘」(永田俊也・講談社)。
 同じ著者では「シネマ・フェスティバル」も書評を読んだらかなり面白そうなので、紀伊国屋やジュンク堂に行ったらチェックする予定。
 図書館で借りる手もあるが、気に入った本は手元に置いておきたい。
 食費を削っても本は買う。

「修士さんが“見に来てね”ってブログに書くのって珍しいよね〜」
 と、誰かに嬉しく語りかける夢を見た。
 誰に語り掛けてたのかはイマイチ夢の中では分からなかったので、ここで不特定多数に語りかける。
 後、寝る前にぴあのプレリザーブ情報を見たからと思うけど
 「もうbaseは誰が誰だか全然わからない。こういう日が来るんだなーとしみじみしたよ」
 ということも夢の中で誰かに話していた。
 実際分からないというか知らないよなぁ。
 “名前ぐらいは聞いたことがある”レベルじゃないもの。



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