本屋をぶらぶらしていたら、帯の「峯田和伸激賛」と「書店の皆様へ:この商品は試し読み歓迎作品です」に惹かれて1冊の漫画を購入。
それが
「fine.」の2巻(信濃川日出雄/小学館)。
“どんづまり感”、“夢と現実の分岐点”、“27歳”が揃ったらここまで苦しいか、と思うぐらいに、読みながら切なさと焦燥感と苦さがこみ上げて来て、かなり胸が疼いた。
背伸びをしたついでにそのまま後ろに倒れ、天井と照明を見ながら
(あ〜ぁ…、あたし、何やってんだろう)
と、いかにもな独り言を吐こうかと思ったほど。
インディーズ時代のバンプを聴いた時や「ピストルモンキーフィーバーマン」を見た時に感じた「胸の疼き」にそっくりなので、近い内に1巻を買おう。
偶々こういう漫画を読んだ日だっただけに、今日の「撃ちっぱなし」OPトークはかなりタイムリーだった。
歩合制の問題についてやたら熱く語り倒していたところは置いといて、人間ドッグやら身体の不調について話していたところは、さながら新橋のいっぱい飲み屋の屋台にいそうな若手リーマンのように思えた。
でも修士さんの
「俺らのどこが面白い?」という問い掛けから始まった22時半ぐらいまでのフリートークは、漫才師の誇りとジレンマが伝わって来るように思え、こちらもまた聞きながら胸が疼いた。
それこそ“きゃーきゃー言っていた”頃は、(何でこの程度のウケしかないのにこの人らがテレビに出れて、あんなに面白い○○が出れない訳!?絶対におかしい!)と、よく憤っていた。
本音はテレビでバンバン見たいと思ってるのに、「テレビにいっぱい出れるようになったら良いね」と他人から言われると、「いや、テレビタレントより芸人でいて欲しいから別にテレビであまり見なくても構わない」とかアマノジャクなことも言っていた。
漫才師じゃないくせに図々しいけれど、ファンも似たようなジレンマは覚える。
ただ、業界筋でかなりの影響力を持っている人以外は、傾向や流行を変えることはいかんともしがたいだろう、ということもだんだんと分かって来たので、とりあえず見続けるしか無いんだろうなぁ、と今は思う。
流れが劇的に変わる日が来るかもしれないし来ないかもしれないけれど、気持ちが続く限りは。
「M-1はドキュメント」って、中々の名言。
それにひきかえ、これほど分かりづらい「くりーんきゃんぺーん(敢えて変換せず)」も無いわぁ。
どれだけ紆余曲折を経れば良いのやら。
最近、まさにそういう構成で終わった芸人を見ただけに、<客いじり→最後の数分でショートコント数本→ハケる>は“逃げ”なのか…と改めて心中舌打ち。
地方だからバカにされたのか。
舞台についての大人の事情も明かされ、分からなくはないけれども見てるこちら側は、出てる芸人にギャラが発生してるかどうかは知らないし、裏事情はどうであれ、好きな芸人が生でネタをやるところが見れる大事な場なんだけどなぁ、とは思った。
一部の人達の圧倒的期待感を背負って始まった東京ローカルの「水野キングダム」。
DVDレコーダーに人格があったら、うちのレコーダーはこの番組に面白さを感じる人間に買い取られた我が身の不運を嘆いて泣いてるんじゃなかろうかと思うぐらいに、下らなさと脱力感が溢れまくったある意味予想を裏切らない出来だった。
何かもう…これが平日23時に流れることが許されてるって凄い。
未成年でも通える国立風俗店の企画募集ってアンタ。
来週から本格始動で、板尾さん、ジュニアさん、ほっしゃん。、大輔さん、南キャン、友近がレギュラーで出るのは分かるが、林さんやインパルス、タカトシがリットン一門とは知らなかった。
一度ぐらいはコバとバッファローさんに出張して頂きたいところ。